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第120回 文覚、伊豆へ。

文覚(もんがく)-かつて19歳の時、同僚の人妻袈裟を自分のものにしようとして逆に袈裟を殺してしまった遠藤盛遠(もりとお:34歳?)ーは仏門に帰し、高雄の神護寺に入っていました。しかし神護寺が余りにも荒廃しているので、承安3(1173)年4月29日、再興の訴えを法皇に願い出に来ました。
文覚はかつて後白河法皇が敬愛する姉・上西門院に仕えていて顔見知りだったからだと思われます。
しかし法皇は、琵琶の得意な師長(頼長の遺児)の伴奏で、好きな今様を歌っていた丁度よい所を邪魔されたので激怒しました。会いもしませんでした。
文覚は当然、そんな法皇を誹謗(ひぼう)しました。

それを伝え聞いた法皇も怒り、文覚を逮捕させました。
そして5月16日、文覚のまたかつての上司・源頼政の息子・仲綱が守をしている伊豆に流してしまいました。
ところが伊豆は13年前に同じく、頼朝を源頼政に預けるという意味で流した場所でした。配所が近くと聞いて、文覚は頼朝を秘かに訪ね、そして打倒平氏を勧める事になるのでした。(続く)

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