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第12回 源高明(たかあきら)に同情?

源高明は光源氏のモデルとして最有力の人です。
もちろん共通点というか、高明に準拠して光源氏像が造られた感じです。
まず醍醐天皇の皇子として生まれますが、母の身分が低く(更衣という点は同じ)、7歳で臣籍降下して源氏となります。(7歳も同じ!)
学問に優れ、管弦・和歌なども巧みだったので、右大臣師輔に気に入られ女婿となっています。ちなみに左大臣実頼の女婿にもなっていますが、こちらは夫人が早く亡くなりました。
『源氏物語』では左大臣という事になっていますね。

しかし一番の後ろ盾だった右大臣師輔が亡くなり、師輔の息子たちとはそう仲良くはなかった様です。そして高明は自分の娘を英明な為平親王と結婚させました。奇行が続く冷泉天皇の弟宮として東宮間違いなしと思われていたのですが、藤原氏は為平親王を外し、更に弟宮の守平親王を東宮に擁立します。
安和2(969)年3月26日、高明は謀反の罪(冤罪であったと思われます)で大宰府に流されました。
紫式部が生まれたのはその翌年(970年誕生説)で、972年4月、高明は許されて帰京しますが、もう隠棲して政界には復帰しませんでした。
そして天元5(982)年12月、高明は69歳でひっそりと亡くなるのでした。この時はもう式部も13歳ですから、父や伯父、周囲の人たちがいかに高明を敬愛し、才能もあったのに、左大臣から流罪となった事に同情していたかを知った事でしょう。式部の心に高明を主人公とした復活の物語の萌芽がこの時できたかも知れません。
ちなみに源高明は「いろは歌ーコミック「あさきゆめみし」と重なっているのも面白いです!」の作者、更には『源氏物語』の作者説にもあげられています。(続く)

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