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第81回 頼朝、確保(1)

1180年1月10日、不吉であった平治は、1年足らずで永暦(えいれき)と改元されました。
「逆に今から平氏の治世となったのじゃ。源氏はもう滅びたと同じじゃ」
人々は元々は「平和の政治」という意からつけられた年号を不思議とも皮肉とも思っていました。
頼朝の長兄義平は、1月18日に捕まり、21日に六条河原で斬首されました。20歳でした。
一方、14歳になったばかりの頼朝は伊吹山の吹雪の中、遅れを取り、やっと青墓の、父義朝の妾の家に辿り着き、しばらく匿われていました。

平頼盛の家人の宗清は尾張から上洛の途にありました。そして宗清は青墓に宿を取りました。青墓に義朝の妾の家がある事は分かっていました。まだ見つかっていない頼朝がひょっとしたら青墓にいるのではないかと宗清は家来たちを捜索させました。

妾の家を探すと、頼朝は簡単に見つかりました。
しかし宗清は、生け捕りにした小柄な頼朝を見て哀愁を感じました。実は先年、宗清は男子を病気で亡くしていました。(続く)

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