情報が表すもの

情報とは 

 日々の生活において、僕たちは常に何らかの情報と関わりを持っている。テレビを付ければ、そこには天気予報に関する情報が、スマートフォンやパソコンでインターネットブラウザを立ち上げれば、様々なニュース情報が、TwitterやInstagramのようなソーシャル・ネットワーキング・サービスにログインすれば、関心を引かれるものから、そうでないものまで、膨大な情報に満ち溢れている。

 情報とは、「判断や行動するために必要な知識」という意味を含んだ言葉であり、文字通り「知識」と密接な関係を持っている。例えば、「知識」を整理してまとめたものは、一つの「情報」を形作ることだろう。他方で、「情報」から切り出された信念を「知識」と呼ぶこともできるかもしれない。体系的な「知識」が「情報」を生み出し、「情報」を経験や関心から解釈することで「知識」を得ることができる。人の知的営み、文化的な生活を支えているものは知識であり、また情報そのものだと言えるかもしれない。

画像1

情報が表しているもの

 医療・健康情報に限らず、情報と呼ばれるものは「偶然」「バイアス」「真実」という3つの要素で成り立っている。そして、これらの3つの要素は入り交じって存在しており、互いに独立しているわけではない。事実に情報発信者の関心や感情を加え、さらに偶然のいたずらを織り交ぜたものが「情報」なのだ。

 したがって、情報は真実かウソかに線引きできるような単純なものではない。直観に反するかもしれないが、この世界に真実だけで形作られた情報は存在しないし、完全なウソで塗り固められた情報というのもまた存在しない。情報を読み解く際には、まずそのような前提に立つ必要がある。

部分的真理の問題

 情報の分かりやすさとは、必ずしも情報に含まれる事実に対する分かりやすさではない。むしろ情報を作成した人間の解釈や意見に対する分かりやすさで満ちている。人がどこに関心を向けがちなのか、そこをあらかじめ知っている情報作成者ほど、巧みな表現で情報を提示することができる。ある特定の部分だけを恣意的に切り出すことによって、経時的なトレンドを情報作成者の都合の良いように表現することさえできる。

画像2

 情報表現を工夫することで、事実を分かりにくく、そして解釈をわかりやすく提示できるということは、世の中にあふれる情報の多くが、生の事実として人の目に映っているわけではないことを示唆する。だからこそ、僕らは関心のないところにこそ目を向けなければならない全体を見つめようとする試みをあきらめてはならない

※本記事に掲載している図のパワーポイントファイルを有料にて公開します。以下よりダウンロードしてご利用ください。なお、単品でも購入可能ですが、マガジンとしてご購入いただくと、全てのパワーポイントファイルがダウンロードできます。

ここから先は

0字 / 1ファイル
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?