ビカクシダ

「あぁ……買っちゃった……」
西に傾く太陽を背に、買い物袋を提げて歩いている僕は、心の中でつぶやいた。
買い物袋の中で、トマトときゅうりの苗、それに小さなビカクシダもゆれている。

30分ほど前、僕はホームセンターで丹念に野菜の苗を選んでいた。
「やっぱりトマトは外せねー……食えるぜ」
「きゅうりにも今年は大活躍してごせ!」
とかって幸せ満喫な未来を頭に描きながら、苗を手にレジを通過した。
僕は思う。幸せな未来を描く時ってのが、幸せの真っ只中にいるんじゃないか、ってこと。
そんな幸せな時って、自分の可能性を過大評価するし、財布が緩むというか、勢いがでる。

改めて、今、思う。
「……あの時、勢いが出て乗っかってしまっとったんだろうなぁ。」

レジを通過したあと
「やっぱり温室ものぞいてみるか」
と、帰る予定の足を右に移動させて、温室に向かった。
温室というのは、ホームセンターの観葉植物売り場のこと。色々な観葉植物が並んでいたり、吊り下げられている。観葉植物が光合成で酸素を作ってくれているのか、少し空気が美味しい気もする。
そんな空間に、ビカクシダくんも吊り下げられたり、並べられていた。
ビカクシダっていうのは、「麋角羊歯」と書くそうだ。要は鹿の角のような形状のシダ植物ってことで、形がまんま名前になっている植物。東南アジアとかのジャングルの木の上に釣り下がるように生育しているためだろう、コレクターは、ビカクシダを平らな板にくっつけてぶら下げていることが多い。ただ、ホームセンターでは、鉢に植わっているものが主流だ。
そんな、観葉植物売り場の中をゆっくり10周は回っただろうか。

今、陽を背に受けて、いわば夜に向かって野菜苗と鉢に植わった小さな「ビカクシダ」とともに歩いている。
幸せの感覚と、買わなくてもいいものを買っちゃった(ごめんビカクシダくん)という中間に僕はいる。この中間の感覚・感情というのは、かなり微妙だ。それは自分自身で、どう意味づけするか、理由づけするかで、どうにでもなるってこと。
ま、その道のプロによると、どうやら本当のところは、どんな感情だって意味づけひとつで変化するそうなのだけど、そこまで僕は器用じゃない。
僕の中では、
「大きく成長したビカクシダ”も”、あるとワダッソが華やかになるじゃん」
「いや、今、引っ越ししたばっかで、お金ないじゃん。今、買う必要ある? それ?」
とか、自分で「買ってよかった」と「買うべきじゃなかった」っていう両方の意味づけを交互にやって、際限なく繰り返す感じになるから、疲れる。
そこで、無理にでも思考を「もう手元にあるから思考しても、やむなし」として、いったん打ち切った。
ふと、周囲を見渡すと、ライトを照らすクルマが増えてきている。クルマの運転手は、ライトを点灯させるべきか考える頃なのかな?(あ、今、クルマが自動で点灯させるのかな?)。
「いま何時になるんじゃろう」
クルマのライトで時間が気になりだし、スマホを取り出して時間を見ようと思った。デニム生地のトートーバックの底かズボンのポケットにあるはずなんだけど。感覚的にポケットにはない。だとしたらトートーバックの底に……あるはずの、スマホ……が……ない!
夜が近づいているというのに、袋という袋を歩道に置いて中に入ってる財布とか本とか手帳を出してバックの底まで探してもない。それからポケットというポケットも全部を探す。
だけど、スマホはない。
無常にも、ない。
こういう時、パニックになる人もいるらしい。でも、僕は慣れている。なにせ忘れ物大王というべきほど、そこらじゅうで忘れ物をするから。
なのでこういう時には冷静に考えられる「どこで僕の元から離れたか?」って。
僕は、時をさかのぼるように逆向きに自分の行動を振り返ってみる。
「確か、この手元のビカクシダくんは、スマホでバーコード決済したっけ……じゃとしたら……あ! バーコード決済してスマホをそのままレジに置き、ビカクシダくんを買い物袋、野菜苗のお隣に入れて歩き出したんじゃない?」と、仮説ができた。
「はぁ」とため息が出る。ワダッソまでの道の半分まで帰ってきたというのに、またホームーセンターのレジまで引き返すことになる。
夜が確実に近づいている武蔵野台地の道を僕は再び西へ歩き出した。
地平線の向こうに隠れてしまってる太陽を追いかけるように。

ホームセンターのレジに着くと、僕の顔を見ただけでわかってくれるレジの中にいる店員さん。
「なら、忘れた時に、声かけてくれよ……」と言いたくなるのを、ガマンして、感謝の笑顔で「ありがとうございました」と頭を下げる。
店員さんは、にこやかに、僕がスマホ画面を解除できることを確認して返してくれた。
「ま、ワダッソについてから忘れたことに気づくより、早く気づいてよかったじゃない!」って、自分自身を慰めて、また夜に向かって歩き出した。

あれから、数日が経過した。
新しくやって来てくれたビカクシダくんは、天井から鉢ごと吊り下げている。いま見ると、新しい葉っぱが、銀色の毛に包まれて出てきている。
どうやら、ワダッソに落ち着いてくれたようだ。

よかった。


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