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野球を教えるということ

自分は高校野球部の監督をすることになりました。

野球部の監督が教えないといけないことはなんでしょうか?

挨拶?礼儀?後片付け?

実際に高校に入学したての部員が教えてもらうことは「この部での礼儀」が多いかもしれません。

いや、野球教えろよ。

この部での野球を教えろ。

という話なんですが、意外とスルーされています。それはなぜなのか?

監督はなんとなくしか野球を理解していないから。とりあえずランナーを2塁に送って打者に頼ることしかできない。すべての作戦が、“あとで自分が責められない”手しか打てない。困った場面では思考停止し気合い頼みに陥るパターン。

名門校の競争力は激しく、気合が入ってないと生き残れません。でも、それ以上に「このボールがきたらこう」「この場面でのバントは絶対に1塁側」など状況判断も鋭く、だからこそ集中力が生まれるのです。弱小の選手ほど、数ある選択肢の中からやるべきことを絞り切ることができずに集中しきれずに場面が過ぎ去ってしまいます。

つまり、監督は「野球を教えろ」ということです。

野球とはどのようなスポーツなのか?

そこを突き詰めて考えていくことがチームの向上につながるし、それを実現しようとする家庭の中で人間性が高まるのではないでしょうか?

野球とはどんなスポーツなのか

野球とはどんなスポーツですか?

こう問われると無数の答えがありそうです。

でも、答えはシンプル

「相手より多くホームベースを踏んだ方が勝つゲーム」

であるということ。

打つとか、投げるとか、下半身とか挨拶とかではなく

攻撃時はいかにホームベースを踏むかを考え、

守備時はいかにホームベースを踏ませないかを考える

これが野球というスポーツです。

いかに出塁し、いかに進塁するか

野球はホームベースを踏んだ数を競うゲームという話をしました。

そう考えると、「いかに出塁するか、いかに進塁するか」ということが大事になってきます。

皆さんは出塁の方法は何個あるか答えられますか?

安打、四球、死球、失策、打撃妨害、振り逃げ、フィルダースチョイス(ゲッツーでの生き残り)

このようなものが考えられます。

強いチームであればあるほど、安打も多いですがそれ以外の選択肢をイメージする力が強く、相手がミスをする前にそのプレーを想定した動きをしているので実現してしまいます。

弱いチームであればあるほど、振り逃げの可能性、エラーの可能性などをイメージできずに面倒臭そうにプレーをします。要は打てなかった時点でプレーをやめているのです。その結果、打てない上にその他の出塁の可能性するら消してしまうのです。

精神論ではなく野球の本質と向き合って指導する

全力疾走しないといけないから全力疾走するのではない

野球とは出塁し、進塁し、ホームベースを踏まないと点にならないスポーツ。

だからこそ、ヒット性の当たりが打てなかったとしてもアウトが確定するまでに残っている“出塁の可能性”を全員が理解し、想定してプレーすることが求められる。

守備はその逆の発想でプレーすればバックアップなどの動きにつながるでしょう。

これができてはじめて全力プレーだし、勝てるプレーになる。

ただ「頑張っていこう!!」と大声張り上げるよりも、「このバッター、サードチラ見したぞ!!バント狙ってんちゃうか?」と言った方が相手には効きます。選手だけでなく監督もサインが出しにくくなります。

野球のすべてのプレー、すべてのサイン、すべてのフォーメーションはホームを踏ませないため、最小限に抑えるためにおこなわれます。その前提を共有するところから教えるべきだと思います。

われわれ野球の指導者は、野球をしっかり教えましょう。

(礼儀は礼儀でしっかり教えるべきですが、打てない理由やエラーした理由にはしないようにしたいということです。)



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