見出し画像

落合陽一「0才から100才まで~」を読む②

本人が噛むほどのタイトルなので少々割愛させていただきます。

学校に通う。テスト勉強をすることのメリットについて。

「学校の勉強なんて社会に出たらまるで役に立たない」とよく言われますが、その考えの大きな間違いは、教育にある「コンテンツ」と「トレーニング」という要素のうち後者のもつ意味を正しく認識できていないことです。学校で学ぶ数式や漢字(コンテンツ)も大事ですが、それ以上に学習する訓練(トレーニング)を怠っていたら、社会に出たときに新しいことを学習する方法がわからずに、自分の経験を使えない人になってしまうのです。

多くの中学校・高校では定期テスト一週間前にはクラブ活動が禁止になる。限られた範囲を限られた時間でどう準備するのか?自分で予定を立て、修正し、バランスを整える。逆算し、自分の能力や癖と向き合いながら自分流の準備の仕方を学んでいく。

教師としては、ここをなるべく口を出さずに取り組ませたい。成功も失敗もすべてが貴重な体験である。

担任の仕事は、そこを自分たちで取り組ませることだとも言える。ポイントはどのへんだろうか?

①集中できる(その環境を作ることができる)。

 リビングで勉強することが流行っているがリビングだからいいのではなく集中できるからいいのである。スタバで集中できればいいが「スタバで勉強している俺」というのが除けば効果は半減だろう。電車の中など決まった時間の中で「5つ単語覚える」と集中することができれば、「集中できる環境を作り出せることができる」という力が身につくということでもある。勉強できない人は座った時間を勉強時間として親や教師に申告する。

②自分なりにチェック(テスト)ができる。

どんな科目でもそうだが「自分テスト」ができるかどうかは非常に大切だ。ようは「ふりかえり」をルール化・ルーティーン化できるかということ。たとえば単語であれば単語帳の見開き2ページを3往復したあと、少し時間をおいてスラスラ書けるかどうかチェックしてできない単語だけもう一度3周するというようなサイクルをできるかどうか。勉強ができない生徒はただ見ているだけ、書いてるだけになっていることがほとんど。

③負けず嫌いである。

中高生は親に頼りつつ、あーだこーだ言われるのを嫌う。「言われるのはウザい。だからやる」となるか「言われるのはウザい。もうやらない」となるか。親に負けまいとするプライドはこの時期には大事な気がする。そこに「たしかにそれは大事だから、聞くべきことは聞く」という謙虚な心構えが備われば完璧だ。テストにしても受験にしてもルールのもとで競うゲーム的な要素もあることは否めない。だからこそ負けず嫌いな生徒は粘れるし、知恵も使える印象がある。(同時に勉強ができなくても、それは人間のすべてではないということでもある。勉強で人生が決まるわけではないということもわかっておきたい)


定期考査に真剣に取り組むことの繰り返しの中で学ぶための「型」を身につける事ができる。その型は将来において有用である。自分の個性と向き合いながら自分なりのインプット、アウトプットの仕方を身体感覚に落とし込むこと。それを疑い再構築すること。

アイフォンのアプリの置き場所を変えたり、アイポッドで新しいプレイリストを作ったりというように「今の自分」に合わせて調整することは、そこに楽しみがある。勉強もそんな感じでどんどん効率よくするためのトライ&エラーを繰り返していってほしい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?