洗い物の繁殖行動に関する考察と一人暮らし大学生の蓋然性神格の検討
急啓
取り急ぎ全人類諸君に啓発、いや、啓蒙したい。
「使用済みの食器は生物に定義される」
令和という元号も声に出すに馴染んできたこの2021年、人々の頭はえげつねえ猛威を奮う新型感染症及びその関連事項にしかストレージを使っていない。これは皆の脳が小さいという話ではなく、その情報の容量がデカすぎるということだ。どのくらい大きいかというと、福島県に対するいわき市の面積くらいデカい。某感染症に纏わる様々な問題の一つ一つがいわき市くらいデカいのだ。
その中で、混迷を極める今の世の中で、忘れ去られてはいるが検証すべきことが一つある。それは、シンク内における食器の生命活動だ。
奴らはおかしい。普通に生活しているだけなのにたったの3日でシンクを埋め尽くすほどの量の食器が生まれ・育ち・生活している。ガラパゴス諸島もびっくりのバイオーム形成だ。しかも中には外来種と思しきプラ製の弁当パックもいたりする。多摩川もびっくりの生態系破壊だ。
シンク内では、そんなところに置いたっけみたいなところに箸とかスプーンが平然と存在したりする。意味不明だ。大匙なんて使った覚えねえぞ。コップ三つも使ったか?
私はこのような事態を真面目に、冷静に分析した。結果として、どう考えても食器それ自体が繁殖をしているとしか考えられないのであった。
なのに君たちはあまりにもこの問題に興味がない。盲目で、蒙昧で、何も考えていない。だから私は提言する。シンク内の食器は生命活動を行なっていることを。
しかしここで一つ、冒頭の提言に疑問を投げかけることができる。それは、「生物の定義」とは何かという問題だ。
コミュニケーションを取ることか、痛みを表現できることか、栄養を行うことか、繁殖することか、動くことか…。
様々に解釈はあるだろうが、食器は器官を持たず呼吸をしないにしろ、「移動」と「繁殖」を行っている時点で「生物でない」ことを証明できない。「非生物」に分類することなどできないのである。
おかしいとは思わないか、使用する前の食器は棚に整然と並べられ、増えることも減ることもないが、パスタを食べた皿や回鍋肉を炒めたフライパンはシンクの中で繁殖活動を行う。これらのことから、パスタを作り、盛り付け、食べるという一連の流れの中で、我々が行う料理という名の「神の行為」が食器類に生命を授けたと考察するのが妥当である。きっとそこにはある種の神格が発生している。
つまり、調理を食器側の立場から考えた場合、「食材を料理にする」が主たる目的ではなく、それに付随して行われていた「食器が食品で彩られることにより、その無機物の身体に生命を授かる」という結果が最終的な目的であるというわけだ。
何が言いたいかというと、一人暮らし諸君、神の力を持つかもしれない我々はこまめに洗い物をするべきだ。
草々不一
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