家族療法の年表

1940年代
1945年 フォン・ベルタランフィが一般システム論を提唱
1946年 メイシー会議が開催(年1回開催され1955年まで続きサイバネティクスや心理学などの発展へ関与、ノーバート・ウィナー、フォン・ノイマン、マーガレット・ミード、グレゴリー・ベイトソン、エリク・エリクソンらが参加)
1948年 ウィナーが「サイバネティクスー動物と機械における制御と通信の理論」を発表

1950年代(※家族療法の先駆者としてはサティアとアッカーマンがいます)
1953年 ジェイ・ヘイリーやジョン・ウィークランド等がミルトン・エリクソンを研究し始める
1956年 グレゴリー・ベイトソンの研究チームがダブル・バインド(二重拘束)を主張した「統合失調症の理論化に向けて」を発表
1958年 ドン・ジャクソンが「家族ホメオスタシスの問題」を発表(ジャクソンはハリー・スタック・サリヴァンに師事していた)
1958年 ネーサン・アッカーマン(精神分析的家族療法)が「家族生活の精神力動(上巻:家族関係の理論と診断、下巻:家族関係の病理と治療)」を発表
1958年 ウィンらが偽りの相互性を主張した「統合失調症の家族関係における偽相互性」を発表
1958年 ジャクソンがMRI(Mental Research Institute)を設立(ベイトソン、ヴァージニア・サティア、ポール・ワツラウィック、リチャード・フィッシュ、ヘイリー、ウィークランドらが関与)

1960年代
1960年 アッカーマンがアッカーマン研究所を設立
1961年 アッカーマンとジャクソンが『ファミリー・プロセス』を創刊
1963年 ジェィ・ヘイリーが「戦略的心理療法」を発表
1964年 サティアが「合同家族療法」を発表(この頃リン・ホフマンがサティアの編集者として一緒に仕事をする)
1964年 ロナルド・D・レインが「狂気と家族」を発表
1965年 リッツ、フレック、コーネリソンが世代境界の混乱を主張した「精神分裂病と家族」を発表
1966年 MRI内にBTC(Brif Therapy Center)を設立
1967年 ワツラウィックらが「人間コミュニケーションの語用論」を発表
1968年 ドン・ジャクソンが死去

1970年代
1971年 アッカーマンが死去
1972年 ベイトソンが「精神の生態学」を発表
1973年 ナージとスパークが「隠れた忠誠心:多世代家族療法における関係のもつれ」を発表(ナージは多世代家族療法家であり文脈療法の創始者、日本では故中釜洋子先生が実践されていた)
1973年 アッカーマン研究所のペギー・パップ、オルガ・シルバースタイン、エリザベス・カーターが「『ふつうの家族』を対象とした家族造形法による予防的試み」を発表
1973年 ヘイリーがエリクソンの実践をライフサイクルごとにまとめた「アンコモン・セラピー」を発表
1974年 サルバドール・ミニューチン(フィラデルフィア児童相談所)が「家族と家族療法」を発表(ミニューチンは構造派家族療法の創始者)
1974年 ワツラウィックが「変化の原理」を発表
1978年 セルヴィーニらミラノ派システミックのチーム(セルヴィーニ・パラツォーリ、ルイジ・ボスコロ、ジュリアーナ・プラタ、ジャン・フランコ・チェキン)がアッカーマン研究所に招待される
1978年 ミニューチンが「思春期やせ症の家族」を発表
1978年 ミラノ派が「逆説と対抗逆説」を発表
1978年 インスー・キム・バーグとスティーヴ・ド・シェイザーがBFTC (Brief Family Therapy Center)を設立し(SFA:Solution Focused Approach)を展開
1978年 マレー・ボーエン(ボーエン理論を展開し多世代家族療法を体系化した)が「臨床実践における家族療法」を発表
1978年 カール・A・ウィタカーとオーガスタ・ナピアが「ブライス家の人々」を発表(ウォイタカーの実践は象徴的体験的家族療法と呼ばれた)

1980年代
1980年 ミルトン・エリクソンが死去
1980年 グレゴリー・ベイトソンが死去
1980年 マトゥラーナとヴァレラが「オートポイエーシス — 生命システムとは何か」を発表
1980年 ペギー・パップが「グリーク・コーラスとさまざまな逆説治療におけるテクニック」を発表
1980年 ピアースとクローネンが「コミュニケーション、行動、意味:社会的現実によって創るもの(CMM理論:Coordinated Management of Meaingという意味の階層性に関する論文)」を発表
1981年 ヘイリーが「家族療法ー問題解決の戦略と実践」を発表
1981年 ホフマンが「システムと進化ー家族療法の基礎理論」を発表
1982年 ペギー・ペンが「円環的質問法」を発表
1983年 リチャード・フィッシュ、ジョン・ウィークランド、リン・シーガルが「変化の技法ーMRI短期集中療法」を発表
1984年 フィンランド西ラップランドのケロプダス病院でオープンダイアローグの試みが始まる
1984年 遊佐安一郎が「家族療法入門ーシステムズ・アプローチの理論と実際」を発表
1985年 ミルトン・エリクソン財団がアリゾナ州フェニックスで心理療法の発展会議を開催(エリクソンの弟子であり開催者のジェフリー・K・ザイグが1987年に「21世紀の心理療法I ・II」として書籍化)
1985年 ホフマンが第二サイバネティクスの家族療法を提起
1985年 シェイザーが「短期療法ー解決の鍵」を発表
1985年 マクゴールドリックとガーソンが「ジェノグラムの話ー家系図と家族療法」を発表(ジェノグラムとは家族図のこと)
1986年 トム・アンデルセンがホフマンとペンをフィンランドのグリルフィヨルドのセミナーに招待
1980年代の半ば ホフマンがオーストラリアのアデレートでマイケル・ホワイトと出会う
1988年 ボーエンが「家族評価」を発表
1988年 アンデルセン主催の「北極圏のギリシャ風キッチン」が開催(ホフマンがアンダーソンとグーリシャンのビデオ(無知の姿勢の実践)を見る、マトゥラーナ、ファン・フォースター、ファン・グラッサースフェルドなどが参加)
1988年 ハーレーン・アンダーソンとハリー・グーリシャン(コラボレィテイヴ・アプローチ)が「言語システムとしてのヒューマンシステムー臨床理論発展に向けてのいくつかの理念」を発表

1990年代
1990年 ディビッド・エプストンとマイケル・ホワイト(狭義のナラティヴ・セラピー)が「物語としての家族」を発表(エプストンはニュージーランド、ホワイトはオースラリアで活動)
1991年 トム・アンデルセン(リフレクティングチーム)が「リフレクティング・プロセス」を発表
1991年 グーリシャンが死去
1992年 ガーゲンらが社会構成主義の実践を紹介した「ナラティヴ・セラピー社会構成主義の実践」を発表(ホフマンの「家族療法の再帰的視点」、アンダーソンとグーリシャンの「クライエントこそ専門家である」、アンデルセンの「『リフレクティング手法』をふりかえって」、エプストンとホワイトの「書きかえ療法ー人生というストーリーの再著述」などが掲載される)
1994年 インスー・キム・バーグが「家族支援ハンドブック」を発表
1994年 シェイザーが「解決思考の言語学」を発表
1997年 ホワイトが「セラピストの人生という物語」を発表
1997年 アンダーソンが「会話・言語・可能性」を発表

2000年代
2003年 ヤーコ・セイックラとメアリー・A・オルソンが「精神病急性期へのオープンダイアローグによるアプローチーその詩学とミクロポリティクス」を発表(斎藤環著「オープンダイアローグとは何か」に掲載)
2004年 ナラティヴ・アプローチの創設者(アンデルセン、アンダーソン、ホワイト)がフィンランド・ハメーンリンナでワークショップを開催(後に「会話・協働・ナラティヴ―アンデルセン・アンダーソン・ホワイトのワークショップ」として書籍化)
2006年 トム・エーリク・アールキンとヤーコ・セイックラが「オープンダイアローグ」を発表

参考文献
斎藤環(2015)オープンダイアローグとは何か,医学書院.
日本家族研究・家族療法学会(2003)家族療法リソースブックー総説と文献105,金剛出版.
日本家族研究・家族療法学会(2013)家族療法テキストブック,金剛出版.
松岡正剛の千夜千冊1658夜分理編2017年12月20日,
https://1000ya.isis.ne.jp/1658.html(参照 2023-05-19).
森川すいめい(2018)本人のいないところで、本人のことを話さないーオープンダイアローグに学ぶ生き方とは一,作業科学研究,第12巻第1号 p. 92-97.
リン・ホフマン(2005)家族療法学ーその実践と形成史のリーディング・テキスト,金剛出版.
リン・ホフマン(2006)家族療法の基礎理論―創始者と主要なアプローチ,朝日出版社.
遊佐安一郎(1984)家族療法入門ーシステムズ・アプローチの理論と実際,星和書店.

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