「今」「私が」
今私が、
・できること
・すべきこと
を、絶えずつかみ続ける必要がある
たとえば今の私にできることは、
タイピングをすること、意味のある文章を紡ぐこと
息を深く吸うこと、それによって指先足先まで酸素を回すこと
泣きそうな目頭を押さえること、笑顔になること
***
この期間はずっとは続かない
安定を求め続けた私だったけど、安定などない
生きている限り、すべては変化し続ける
そのことをまだ、受け入れきれていないけれど。
***
安定した情緒、安定した関係性、安定した生活環境、安定した収入
かつて求めたものはたくさんあって、手に入りそうにもなった
でも目の前に安定した未来が見えたとき、行き止まり感と妥協もあった
「この程度で」「この程度の幸せでいいか」
求めたものが手に入る喜びよりも先に浮かんだのは、これだった
生活の様々な場面が事細かにまじまじと浮かび上がるようだった
私の人生が、ここですべて決まってしまったようだった
この先の人生がすべて走馬灯のようで、
エピローグのようにみえた
***
その未来を手放していまここにいる
それが最善の道ではないと判断したから。
ベターではあったが、ベストではないと感じたから。
周囲の何かに規定された「幸せ」の枠がくっきり見えた気がして、薄ら恐ろしかったから。
そうじゃなくて
そうじゃなくて、私はもっと自由な幸せの中にいたい
無限の可能性を追い求めたい
これまで知らなかった私に出会いたい
***
「私がするなら」
他の誰かではなくて、私が行うのなら。
私の人生の最適解を作り出せるのは、私の行動しかない
他人の動きではなくて、
他人の考えではなくて、
「私が」どう考えるか。どう動くか。
流されて生きるのはとっても楽だ
自分の頭で考える必要がないから
周りの動きに合わせていればいいのだから
流れるプールの中、浮き輪にさえつかまっていれば永遠に動きつづけられるように、自分の力はほとんど使わなくていいのだから
でももし自分の進みたい道があるなら、自分の力で進まなくちゃいけない
誰かが連れて行ってくれるわけではない
他の人のエネルギーに乗っかることはできない
流れるプールの中に居ながら自分だけの道を行こうとすると、周囲の存在は障壁になる
だからまずは、そこから出なくてはいけない
今の私は、どこにいるのか?
まだ、流れるプールの中だろうか
それとも、50mプールの飛び込み台にはいるだろうか
***
いついかなる時も、まず見るべきは、自分の位置
「今の」「私」に必要なことを見極める目をもって、周りに振り回されることだけはしないように
やりたいことをやる中には、必ず苦労もあるけれど、
苦労の先には必ず喜びがあるから
この光をどれだけつかめるか
どれだけ、信じられるか
雨のあとの虹を、信じられるか
自分だけの道には誰も連れて行ってくれないけど、
虹を信じる力が、十分な原動力になりうることを知っている
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?