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動けないのは

ここ3カ月、ずっとずっと動けずにいる

そこまでの3年間は、動き続けていた
輝いていた
すべて過去形なのが、悲しいが。

どうして今動けないのか
特段何かが起こったわけじゃない
これは、私の中にずっと潜んでいたものだ
ずっとずっと身を潜めていたものが、表に出てきてしまったのだ
長らくその正体がわからず、ただ苦しみの中にいた
が、答えが見えた。

それは、恐怖だった。

泣き出したくなる衝動に駆られていた
感動する映画を見て涙ぐんでも満足はしなかったので、ただ無意味に涙を流せばいいというわけではなかったのだろう
でも、何に対して泣きたいのかわからなかった
わからなかったから、ただ苦しみとして抱えるしかなかった

それは、

間違うことへの恐怖

変化することへの恐怖

とても臆病だったのだ

臆病な自分を認めることができなくて
泣くことすらできなかったのだ

真実に生きたい都願っている。

だから、泣きたいときは泣ける人でありたいし
怖いものは怖いと言いたい

できないものはできないと言いたいし、
苦しいことは苦しいと言いたい

偽ることで、ごまかすことで得るものは刹那の安寧のみで
じわじわと、自分と周囲への信頼を失っていく


大きな視点を持ちたい。

目の前の瞬間のことだけじゃなくて
長期的に将来を見通せるような

目の前の細部だけじゃなくて
全体のバランスをとれるような

そういう大きな視点を持ちたい

この小さな家に住んでいるけど、
だからといって私の人生が小さいわけじゃないんだ

可能性を自分で狭めるようなことはしたくない
自ら細く苦しく足場の不安定な道を歩むような愚かなことは
もう、したくない

間違ってもいい

戻ることもできる

だからずっと不安定な道は歩まなくていい

元に戻るのは早い方がいいよ

だから間違いに気づくのも早い方がいいんだよ

生きてる限り、必ず取り戻せるんだよ

最後まで諦めなければ、勝ちだから。


必ずもう一度輝けるからね


・・・


こう書きながらも私のもとにはまだ未読のまま数週間経ってしまったメールが残っているし事務手続きすらできずにいる
やっぱりまだ怖い、あまりに怖い
久々に取った電話の向こう口でちょっとあきれられてるように感じてしまって、自分の非を認めながらも、認めるからこそ動けない自分が苦しくて、なんでもない風に返事をし、なんでもない風に電話を切ったが、そのあとから涙が出そうだったし手足の血の気は引いていくし、いてもたってもいられなくて走り出すかうずくまるかしたくてたまらなかった
苦しいよー、くるしい
どうしてこんなに小さなことにつまずき続けているのかもやっぱり根本的にはわからなくて苦しい
事務メールを返信しようとしている今も泣きそうだ
右腕がしびれそうだしこの苦しみを見つめると動悸になりそうで怖い
頭は痛いし息は浅い

「動ける!頑張れる!」というときの自分と、
「ムリだよー…」という自分とがずっと喧嘩してるし大抵後者が勝ってしまう、手ごわい、自分ながら強すぎる

こうして文字に起こすことでなんとか心を保とうとしている
これでなんとか思考をつなぎとめている

あがいている痕跡を、ここに残している

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