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ジャパニーズ・コミックストーリー・テーラー

「ラミネーターが」

後部座席に乗った母が不意に話し出す。
「ラミネーターがまだ出始めくらいの時…『見せてやるけん』って夜に出ていって」
ああ、父の話かと瞬時に察した。

父が当時働いていた職場に『ラミネーター』なるものが導入されたらしく、その性能に驚いた父は一旦帰宅したものの、家族にもそれを見せたくなり、夕食後にまた職場へと戻ると言ったのだ。
いやいいよまた今度で、と諭す母の声を振り切り父は車に乗り込み、びゅん、と走らせた。

「そこでね、事故したのがここの交差点よ」
僕は信号待ちしている目の前の狭い交差点を見る。薄暗くて、少し歪な交差点だ。視認性はたしかに良くないだろう。夜は特に。

そう、父はその晩事故を起こした。信号無視か、あるいはスピードの出しすぎか。僕はその時ずいぶん幼かったから、詳しい状況はよく知らない。ただ、怪我人が出るような大きな事故では無かったはずだ。
やれやれ、ラミネーターなんて取りに行かなきゃこんなことにはならなかったのに。余計なことをしたばっかりに。
父は、その人生の中でしばしばそのような事件を起こした。まぁ、時が経ってみればどれも笑い話になったけれど。

「あの時、実際どうだったの?」
僕は喉まで出かかった言葉を苦い唾液と共に飲み込む。それは過去を慈しむように笑いながら話している母ではなく、父に対して投げかけようとしていた言葉だったからだ。

その瞬間。不意に「あ、会いたいな」と思った。
会いたいと思ったってどうしようもないけれど、会って話がしたいなと思った。聞きたいこと、話したいことはやっぱり山程あった。

父がこの世を去ったあの日から、時間が経つにつれ、どうしたって記憶は少しずつ遠のいていくけれど、突然なにかのきっかけで、何気ない一言で、それは瞬時に思い出される。

車は青く変色した信号に促され動き出す。
随分昔のある日の夜、確実にそこにいた父を残して車は進む。

昨夜、僕が住む市内のある会場で三遊亭歌之介改め、三遊亭圓歌師匠の落語寄席があった。
鹿児島出身の圓歌師匠の落語が、父はとても好きだった。

2000人程いたらしい会場がげらげらと笑い声に包まれているのを見て、妙に胸が苦しくなる瞬間があった。

「ねぇ、面白かったね」

僕は会場のどこかにいるであろう父に問いかける。
返事はたくさんの笑い声に紛れて聞こえなかった。

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