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2年が経つと。

3月10日。父の三回忌だった。
三回忌というのは実質亡くなってから丸2年、ということである。
2年というとまだまだ間もない気がするのだけど、心の整理がつくには十分な時間だったと思う。父が居なくなってから変わったことが沢山あって、あっという間にどんどん過去のものになっていってしまったのだ。

人間は辛い記憶を優先的に亡くしていくとどこかで聞いたけど、実際その通りで、あの時感じていた痛みや苦しみは「経験」としていつまでも頭の中にあるけれど、それを思い出して無条件に泣いてしまう、なんてことは次第に少なくなった。

だから、今なら大丈夫かなと思い、父が大好きだった長渕剛を少しだけ聴いてみた。特に大好きだった「STAY DREAM」や「何の矛盾もない」なんて曲は流石に聴けなかったけど、「myself」や「いのち」は意外と聴くことが出来た。父との思い出抜きで、シンプルに良い曲だなと思った。思うことが出来た。

日々の生活が苦しくてしんどいから、なかなか感情の赴くままに泣いたり黄昏れたりなんてのを出来なくなって、だからじゃないかもしれないけれど、水彩絵の具にどんどん水を足されると色合いが薄くなっていくように、「悲しみ」は時間の流れと共に淡くなっていく。

そうして知らない間にどんどんどんどん風化されていったのだと思う。昔は。

だからこうして三回忌とか、年忌というものが生まれたのかな。
忘れていくこと、悲しいと思わなくなることは悪いことではなくむしろ自然なことなのだけれど、それでも時々思い出して、思いを馳せて、故人と、そして自分と向き合う時間が数年に一度くらいあったほうが、故人にとってというよりは、自分にとって、きっといい。

父が会えなかった、先日生まれたばかりの甥っ子が「ふええ、ふええ」と泣く。
一生懸命に、泣く。

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