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痰壺から溢れた言葉は。

「あ、今は全国総2ちゃんねる時代なんだ」

自宅のトイレに座り込みながらふとそんなことを考えた。
きっかけはなんだったろう。たしか、とある芸能人のゴシップについて考えてたからだと思う。
芸能人のゴシップやなにか大きいニュースがあると、刺激に飢えたツイッター界は甘い蜜をしゃぶりあげるかのように、おおいに盛り上がる。
それがたとえ、永い闘病の末の訃報だったとしても。

僕が2ちゃんねるという、いわゆるネットのアングラ文化に触れたのは高校生の頃だった。
着メロは64和音、なななんとケータイで初代ドラクエが遊べるぞ!そしてパケ放題!…なんてのが当たり前になった頃である。いやはや懐かしい。
「電車男」が世間を賑わせたのもあって「2ちゃんねる」という、例のあのツボのイラストがあるトップページに行かずとも、まとめサイトというのが出来、面白いスレが有志によってまとめられだした頃だ。
「2ちゃんねる」はなんだかこわいけど、まとめなら読むだけだし面白いしいいだろうと思って様々な(今となっては)伝説的スレ、レスを読んだ。「痴漢男」なんて軽く泣いた。

でもそんなのは世間的にはまだまだアングラであると感じていた。インターネットなんて難しくてよくわかんねぇや、っていう若者も多く居たと思う。ハンター試験じゃないけれど、「そこ」にたどり着くにはある程度のふるいが用意されていたのでは、と今になって感じるのだ。
それでも、インターネットの深いところでは、夜な夜な「名無し」たちが秘密裏にあれこれと議論を重ねている。そこには意味も影響力もなにもないけれど、確かな存在だけが蠢いていた。

やがて訪れるスマートフォンの普及がそんな状況に革命を起こした。

それまで世間一般と2ちゃんねらーとの間には距離があった。ネットの意見なんてどこか遠いところで喋っている声、くらいの感じだった。
それがどうだろう。
もはやネットに広がる様々な意見が、どのメディアよりも発言力と影響力を持つようになった。偉い政治家もバカッターも、皆等しく同じSNSアプリ上に存在する。他国の首相が「おはよう」とつぶやけば、地球の裏側から「おはようってwwwこっち夜だしwww」なんてクソみたいな挨拶を気軽に本人に送ることが出来るのだ。

もう誰も「名無し」ではない。それぞれに好きに名乗ることが出来、それらしい発言が出来る。真面目な顔して「選挙に行こう」なんてことも言えるし、裏アカウントを作って堂々とオ◯パコ募集なんてのも出来る。いつでも「誰か」になれて、「誰か」とすぐに繋がることが出来る。

そして芸能人のゴシップがあればすぐに大喜利大会になって「いいね!」の渦を巻き起こす。ツイートがバズってるので宣伝させてください!うちの猫です!かわいいでしょ!なんて。

あんなに透明で名も無き声だったものに、たしかな色と存在感がある。
言葉の裏側には確実に誰かが居て、その日常を過ごしている。例えば少し探せば女子中学生、女子高生の自撮りやプリクラがゴロゴロ見つかるだなんて、考えられない。なにそれ、昔の2ちゃんねるならすぐにさらし首でしょ。
あの頃の2ちゃんねるには居なかったであろうお馬鹿さんや秀才たちも同じ場所にいる。どちらも平等な「いちアカウント」として。
それはとても良いことでもあるのだろうけど、どちらかというとあんまり良くない気もする。

様々な、ほんとうに様々な言葉が「あの痰壺」から溢れてしまったいま、きらきら光る言葉をすくい取るのはとても難しい。

それでも、いつか誰かにすくい上げてもらえるような、そんな言葉を選んでいきたいな。

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