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脱・苦しいものこそ正義なり

小学校時分、友人たちとソフトボールクラブを作り、放課後に練習…とまでは言わない、遊びの延長線上にあるような活動をしていた。
だから他所の学校と試合だとかそういうものは全然無く、「楽しんでやる草野球」みたいなノリだった。チーム名は「ガッツ」だった。いやお前らそんなにガッツないだろ。

そんなゆるい活動の合間、トレーニングをする時間も一応あった。筋トレとか、そういうのを。その一環として「うさぎ跳び」をしていた記憶がある。
この「うさぎ跳び」というトレーニングは相当に苦しい運動であるから、「苦しいものこそ正義なり」と信じている指導者たちはこぞってこのトレーニングを子供らに課した。子供のぼくらも、「これだけ苦しいのだから成果もきっと素晴らしいのだろう」と盲目的に信じていた。
しかしやがてうさぎ跳びというトレーニングには数多くの有害性が指摘され始めた。簡単に言うと、「身体に悪い運動」であったのだ。

RPGにおけるレベリングがしんどさを伴うのと同じで、魔物がいない世界に住んでいるぼくたちは、うさぎ跳びを始めとする「苦しい課題」がレベル上げに相当するものだと信じて疑わなかった。なのに、うさぎ跳びは悪いものへと変わった。今ではそんなトレーニングをしている子供らはいないのだろうな。
「ゆとり世代」と一括りにされるぼくらの世代だけど、体育教育においてはあまりゆとりを感じたことは無かった。

今月。
愛知県の小学校で、校外学習後に一年生男児が熱射病で亡くなった。

大変痛ましい事案である。遺族の気持ちを想像するだけでとても辛い。

やはり「苦しいものこそ正義なり」という教育方針はなかなかに拭い去れないのだと感じた。指導している関係者たちも子供の頃にキツい思いをしてきた世代であろうから、「おれたちの子供の頃はな」なんて思ってしまうし、言ってしまうのだと思う。ぼく自身その考えを否定するどころか同意する部分があった。
もはや、考えを改める時期に来てるのだとおもう。夏はまだ始まったばかりだし、子供らの人生もこれから先まだまだ長いはずなのだから。凝り固まった思想や正義感ではいられない。

と、取り返しのつかない事態に陥ってから気付くというのは、とても申し訳ない気分になる。この凝り固まった思想が、男児を殺してしまったのだ。

亡くなった子供のご冥福をお祈りすると同時に、こういった事案が一切なくなることを願います。
近い将来、すっかり消えてしまった「うさぎ跳び」のように、古い時代が終わりを迎えますように。

レベリングは生命の危険を伴わなくても、出来る。

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