エンプティ②
耳元で雨音が鳴り響いていた。
僕はもうすでにびしょ濡れと言っていい状態で、持っていた上着は衝撃でだろうか、3メートル程飛ばされていた。
「今、確かに声が…」
雨音は変わらず鳴り響いている。
いやいや、そんなわけない。僕は幻聴でも聞いたんだと自分を納得させ、雨に濡れいつにも増して重たく感じる身体を起こした。
「僕も急いでたから、ほんとごめんなさい」
僕は慌てて身構えた。幻聴じゃ…ない。
「うわー、お兄さんめっちゃ濡れてるね。僕のせいかー?うーん」
荒れている天候とは裏腹に、間延びし、どこか牧歌的な声だった。
「え、いや、ちょっと待てよ、誰か居るのか?!」
こうして雨に濡れ、大きな声を出しているとまるでドラマか映画の主人公にでもなったようだ。が、そんな事を考えてる状況じゃない。
「うん、いるよ」
「ど、どこに?」
「お兄さんの真横にいるんだけど…まぁ見えなくてもしょうがないよ」
「なに、あんた幽霊か何かか?あーちょっとマジで頭痛くなってきた…なんだよこれ…」
「えっと…あ、とりあえずあそこまで行きません?雨宿りです。」
「いやあそこって何処だよ…何処のことを言ってるのか全然わかんねーよ」
「あ、そっか。ええと、お兄さんから見て右側の、階段の入り口です」
僕は右のほうを見る。
ここは路地裏だ。何かあるとしても非常口だと思われるドアやその側にはゴミ箱、他にはエアコンの室外機や路地に面しているどこかのお店が使うのであろう古い洗濯機…。
そんな中にその階段の入り口はあった。
これもそのビルの非常口になるのだろうか、何もないシンプルなコンクリート造のものだ。
「わかった」
僕は飛ばされた上着を拾い、少し足早に階段へ向かった。雨はだんだん酷くなっているようだ。
「あーあ、こりゃもう着替えてーな…」
「すいません…ただ今手持ちが0円なので」
「あ?いや別にヤンキーみたいにクリーニング代出せや!って言ってるわけじゃねーよ」
「お兄さん、携帯持ってます?」
「ん?持ってるけど」
なんだかもう普通に会話しているが、傍から見れば僕は独り言を言ってるように見えるのだろうか。
妙にこの状況に慣れてしまっている自分と、未だに混乱したままの自分がいる。
わけがわからないのに冷静に雨宿りをしている事がおかしくも思えている。
ひとまず、あの衝撃は単純に人(だよな…)とぶつかっただけのようだ。
僕はぐしょぐしょに濡れたスラックスのポケットから携帯電話を取り出した。
画面すべて濡れてはいたが、動作には問題ないようだ。
「今から僕の言う番号を登録して下さい。」
「あん?」
「さっきも軽く言いましたが、今僕はちょっと急いでいて…で、お金も今渡せないし携帯も持ってないんです、今。なので、とりあえず番号だけ登録して貰って、ワンコールだけ投げといて下さい。で、僕は帰宅してから改めてお兄さんに連絡します。」
「てか、それはつまり後日謝罪するから的な、菓子折り持ってどうこうとか、そういうこと?」
「うーん、まぁそうです」
「いやいいよめんどくさいし。つーかオレ的にはあんたの姿が見えない事のほうがよっぽど気になる」
「それも含めて、ご連絡します」
「含めて?」
「ふう…こんなこと話しだすと長くなりそうで今は避けたいのですが…。僕は先程のこと、悪いなぁと思ってますのでそれなりの謝罪はしたいと思ってます。で、その謝罪として"菓子折り"…ではありませんがあるものをお渡しします。」
「あるもの?」
「はい。ですがごめんなさい、これを何かと言うと長くなりそうなので"あるもの"とだけ…。お兄さんがやっぱめんどくせーって思うんならワンコールを投げなければいいだけの話です。そこはお兄さんに任せます。勝手ですが」
「ほんとに勝手だな」
ふう…と溜息をついてふと違う方向を見ると、誰かが両面テープで貼り付けたのだろう、100円均一で売っているような安っぽい時計が飾られていた。ここを頻繁に使う人が勝手につけたのだろうか。17時28分。
「あっ、もうこんな時間だ!いけない!お兄さんとりあえず番号を!080-…」
急かされて、僕は言われるがまま番号を登録した。
「僕の名前は"木戸"です。すいません、ほんとうに、今はこれで!」
足音が聞こえた。走る足音が。
だけど、僕の目には雨に濡れる路地裏しか見えなかった。
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