見出し画像

先祖いのりと、家系図づくり。

先祖へ。

つながりに気付かせてくれたこと、まだ見ぬ子孫に想いをよせる責任を持たせてくれたことに、感謝します。


「先祖とオレは、つながっている」

そういったことは、成人をむかえてから、ほとんど考えもしなかった。
でも、全宇宙はどこかで確実にジッと見ていて…ちょうどよいタイミングで
オレを「それ」に、みちびいてくれた。

その話は2019年3月に、さかのぼる。
ちょうど41歳で本厄の時で病気をしたにも関わらず、色々といそがしく欠点だらけの日々の生活の上に過度なストレスをかかえており、色々とあがいていた時だった。

あるとき、自宅に遊びに来ていた妻の友人から 
『“先祖いのり”というのをやってみたら?』 というオファーをうけた。

『先祖いのり』とは?

言葉的な表現としては、
『代々、わたしをふくめた“いのち”を受けついできたことを、祖先に感謝する』 
というもの。

友人いわく、ご自身の先祖参りをした結果、自分なりに人生の流れが変わったらしく、「運勢が本当に変わるから!」 と強く主張していた。

しかしその友人にススメられたものの、オレの反応はというと
「えっ?ウーン、めんどくさい、むずそうだし…」って、しばらく抵抗してた。

しかし、ひとり冷静になった時…
あっ…と、思い出したことがある。
幼い時からず~っと心に引っかかっていた

「シンプルなギモンと願い」 

が、脳みそ🧠に浮かんできた。

①そもそも自分のルーツってどこだっけ? 

②おじいちゃんとおばあちゃんまではわかっているけれど、それ以前の人たちって、いったいどういう人たちだったんだろう? 

③また、どういう場所でくらしていたんだろう?

④ご先祖と会話できたら、いいよなぁ。 

お墓参りで毎回感じていた個人的ギモン

お墓参りをするたびにずっと感じていたギモンだった。その、きわめてシンプルなギモンと願いは、ときおり思い出しては…さまざまな理由をつけては否定していた。ましてやご先祖とコンタクトだなんて霊能力者じゃあるまいし…などとその疑問を無視していた。

また、自分にとって過去をあまり思いだしたくない…という抵抗する気持ちが強かった。家庭環境的に、受け入れがたいつらい思い出があったから。

でも、冷静に考えた時に、なにか「自分の中で探し求めつづけてきた答え」が、あるのかもしれない…という捉えどころのない、しかしゆるぎない直感がほんのわずかに、はたらいた。

やってみるか…いつかは見つめ直したいことだったし、そのいつかはおそらく「今」だろう、と。

先祖と初めてのふれあい。

まずは先祖のルーツを辿るために家系図のつくり方を調べた。
以下のサイトは、戸籍の集めかたを知るのに、とても役立った。

自分の住民票をとりよせるところからスタートし、地元の役所に行き、戸籍課へむかった。

「戸籍証明書等請求書」なるものに、かける項目を書いて提出。
使用目的は「家系図作成のため」って書いた。

こういうはじめての書類っていうものは、なぜかビビりますな

本来は遺産相続とか財産分与などで使用するものだけど、
今のところはそういう話はないので、率直に。
あっさり受理。

ひと通り手続きを済ませ、もともといた実家(祖父母の家。今は他界)の原戸籍(げんこせき)を取りよせた。待つこと1時間半。

うまれてはじめて原戸籍を手にする ※個人情報ですのでモザイクかけてます

うまれて初めて原戸籍というものをみた。
…おじいちゃんと、おばあちゃんはもちろん…。
うわー、なつかしい親戚の名前。

その中に…曽祖父母の名前が。
おぉ…ひいじいちゃん、ひぃばぁちゃんってこんな名前だったんだ。
書類上とはいえ、長年会いたい人にようやく会えた感。
正直言うと、感動したし、なんとも言えないなつかしさも、感じました。

自宅に戻ったその夜、「なんとも言えない胸騒ぎ」がすごくて、少し苦しくなった。なれないことをして妙につかれてしまったのかなぁ…と思い、今夜は早めに眠ろう…と、ふとんに入った。
しばらくふとんでジッとしてたんだけど、アタマの中で

「ロウソク」
「お水」
「お酒」

って、イメージが浮かんだ。
つかれているからムリだよ…と、眠ろうと思ったんだけど…
心がザワザワし続けたので、ガバっと起き上がった。
まぁ、そりゃぁそうだよな…って思った。

原戸籍を居間のテーブルの上に置き、八海山をなみなみと注いだお茶碗。
そしてロウソクをともした。そしてひとり深夜…

『ご先祖、はじめまして。ようこそおいでくださいました。
このたびは、おこしくださり本当にありがとうございます』 

と、心静かに土下座。 
なぜならば… 

 「かつて、生きていた直系のご先祖」の名前をはじめて見てから…
“すぐそば”にいる気がして…オレは頭を下げずには、いられなかった。
だって故人とは言え、自分とつながってるんだもの。
お会いしたことはないけれども…やっぱり先祖だもの。
先祖に無関心な人は知らないけど…いちど向き合ってみようと決めたらね…
書類上とは言え、アタマは下がるものですね。

しばらくボウっとながめてたら原戸籍から、なにかがフワフワ〜…って
立ち現れたようなイメージを感じた。

ふいに、

「…おまえさん、だれだい?」

って、たずねられた感覚があった。

えっ?まさかご先祖?
やや、緊張を感じながらも…

「ええっと…初めまして…ご先祖の息子さんである、なにがしの2代下の末裔でございます。ご先祖に感謝と祈りを捧げたく思い、今回戸籍を取りよせさせていただきました…」

などと、そんな感じで一人で戸籍の前で…ポツポツ、ポソポソしゃべった。
傍目からは変な光景かもしれないけど、ホントにあの時は…緊張した。

とたんに気持ちがホワンとなってお互いが強くつながるような感覚をおぼえ、深いリラックス状態に入った。認めてくれたのだろうか。
ご先祖とコンタクトした時のメモが残っている。

・こういう形で家系を調べて、その上に話しかけてくれる子孫が現れたことにまず驚いた。素直にうれしかった…ありがとう。

・そのさらに上の先祖を知りたいのであれば、よろこんでお取り計らいをしよう。

・さびしくなったり、つらいことがあったり、はなしたいな…と思うことがあったら、いつでもどこでも、話しかけておいで。

・たのむから…かた苦しくしないでほしい…自然体で、すなおな気持ちで向き合っていいんだよ…おまえさんはひとりではない。いつでもそばにいる。そして常に味方なのだから…。

私のご先祖からのメッセージ

1時間ほど、ご先祖のほかに戸籍上の亡くなった人で会いたかった、話したかった人たちと個人的なことを含めて、静かにお話しさせていただいた。

祖父母、父、兄、従兄弟のおじさん。

終わった時は…涙が出た。
…こんなキモチになったのは、何十年ぶりだろう。

いつのころからか忘れていた感覚。
ずっと、思い出したかった感覚。

心の中にあるカタマリが、少しゆるむような、ほぐれていくような感じがした。

この体験を通じて気がついたこと。
過去に色んなことがあったにせよ。
「血縁とのつながり」 
を受け入れての先祖祈りなんだなと、はじめて実感した。

家系図をつくる。

つぎの日、原戸籍をたしかめたら他県だったことがわかり、郵送で改正原戸籍を取りよせた。直系尊属で5,000円位を考えていたが、
「遡れる直系尊属全ての戸籍」
と請求したので、結局は9,750円かかることになった。

2019年、6月上旬。
「山の様」な戸籍が来た。正直、めんくらった。
ひょえー、スゲ~~。こんなにいるんだ、ご先祖!

数えてみたら、合計40枚

中身を見たら…
・文政・天保・弘化・嘉永・安政・文久・慶応・明治・大正・昭和
にかけて、名も顔も知らぬ親族がズラリ。
調べてみたら、5代まで遡ることが出来た。それにしても…圧倒。
うわー…どう把握・整理しようかと、アタマかかえたけど…。
やっぱり…やるしかないか、アレを…と思った。

家系図を、つくろう。
そう決めた。

どういうふうに作っていいのかわからなかったので、ネットで作り方などを調べて、家系図作成を少しづつ始めた。

先祖祈りに、本家へ。

2019年の8月のお盆時期にご先祖のお墓まいりをさせていただいた。
山のような戸籍と、未完成の仮の家系図を持って。

その日は…ご先祖のサポートを感じずにはいられない出来事があまりにも多かった日だった。

本家の住所と近くのお寺さんだけは把握していたけど、まったくお墓の場所を知らなかった。それでも不思議なんだけど「絶対に会える」という確信があった。

2時間かけてお寺さんに到着…近所の方に聞いたり、なんとなくこっちかな…という「なにか」を感じ取りながら、探した結果…。

ついに、本家のお墓を見つけた時は…土下座。
これ以上、なにを望もうかというくらい…泣いた(笑)
まるで、家族を巻き込んだドラクエの世界…やったこと無いけど。

ついでに近所の方に本家の場所を教えていただき、本家の末裔の方とお会いできた。
40年ぶり。小さい時の自分を憶えていたらしい。
ありがとうございます、とお礼を言った。

先祖供養の話をさせていただき、曾祖父母の遺影を見せてもらうことに。
あーなんかイメージ通りと思った。ちゃんとコンタクト取れてたんだ。
長年、縁が切れていると思い込んでいたご先祖との繋がりをあらためて感じ、感激の余り胸が震える思いだった。
ちゃんと、家系図は完成させようとあらためて思った。

家系図完成。

後日、家系図と格闘の日々だった。
当然ながら、むかしの戸籍は筆でしたためており、数字なども旧式の漢数字で書かれているので、わからないところはネットで調べて関係性を読み解いていった。シロウトだけど、途中から歴史学者みたいになってた。

家系図作ったことがある人なら、わかってもらえるのかもしれないけど、なれないということもあり、ほんとうに悩む事も多く、ラクな作業ではなかった…それと自分が過去に抱いていた昔のトラウマ的な気持ちも出てきたので、余計めんどくさい…と感じることもしばしば。

それでも…戸籍上のご先祖から『がんばれ』と応援されている気がして、これは必ずやりとげる必要があるのだな…と、感じながら作業をすすめた。

慣れるまではそれなりにエネルギーを必要としたし、ずいぶん時間はかかったものの、1年かけて無事に直系尊属の家系図を、完成させた。

今、戸籍で把握しているだけでも82名。生きている従兄弟も加えたら100人はラクに超える。

せっかくなので一筆添えて、本家に2020年のお盆まえに送付させて頂いた。
その日の晩。不意にご先祖の気配を強く感じ、不適な笑みをうかべながら
『ごくろうさん…ありがとなぁ…なにがあってもおまえの味方だ…』
と言う力強いメッセージが。その時に初めて…むくわれたんだ…よかったな…とホッとした気持ちとともに、ありがたみの涙がこぼれた。 

家系図は知的財産なのかも。

たまに家系図を時折、眺めているうちにこれは従兄弟(いとこ)のみんなと共有しておく「知的資産」なのでは?と思い、いつか家系図をお披露目するチャンスが訪れたらいいなぁ…と思い続けていた時、2020年の大晦日にいとこから突然、連絡があり、グループLINEでつながる事が出来、LINE上でいとこグループで家系図を共有できたことは、びっくり。

きっとコレはご先祖の計らいだなと、思った。
他の親族はどう思っているかは、知らない。
ピンとくる人もいるだろうし、へー…で終わる人もいるだろうと思う。

オレ個人としては、やってよかったなと思う。
このあと「本当に人生の流れが変わった」のだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?