見出し画像

レプリカの墓 (月刊惟宗ユキ4月)

世の博物館につきものなのが「レプリカ」だ。かっこよく名乗ってるが、要するにニセモノである。
全国の博物館にはいろんなレプリカが置いてある。家のレプリカ、仏像のレプリカ、電車のレプリカ、恐竜のレプリカ……。博物館に限らない。イベントのためのレプリカ、遠くの場所にあるものがどうしても欲しくて作られたレプリカ、失われてしまったものを復元するためのレプリカ。いかにも本物ヅラしたニセモノはこの世界にごまんとある。

しかし「レプリカの墓」と聞くと、誰が何のために作ったのか多少理解に苦しむのではないだろうか。

1935年(昭和10年)の「呉市主催国防と産業大博覧会」の会誌をみていて、なかなか変な展示品が目に止まった。なんと「乃木大将の墓地(実物大模型)」というのである。

乃木大将とは日露戦争の英雄・乃木希典のことで、展示されている「軍事記念館」は日露戦争の名だたる人物の遺品や、東郷平八郎の居間の再現などが展示されたらしい。
居間のレプリカはまだわかるが、なぜ墓地……。なぜ墓石なんだ…。けっこう不気味な気もするし、見ようによってはご本人にだいぶ失礼な気もする。

公式記録には「左奥には乃木将軍家青山墓地の実物大の模型が、パノラマ式電飾のもとに見られる。誠に質素なもので、観覧者は自ずから頭を垂れ、将軍の誠忠遺勲を偲び、何とはなく精神に緊張を憶へせしめられる」。と書かれている。そ、そうなのか……。でもこれは単に墓「石」のレプリカなんじゃないのか…? 乃木大将もきっと「そこに私はいません」と言いたくなるのでは…。なんともセンスのわからない展示品である。

しかし、日本にはどうやら「墓のレプリカ」を作るという文化があるらしい。というのも、「墓のレプリカ」はこれだけではなく、現存するものも含めて結構あるのだ。

例えば鹿児島仙巌園には源頼朝の墓の縮小レプリカというものがある。平成11年に鎌倉から寄贈されたものだという。

また、滋賀県にある儒学者・雨森芳洲を偲ぶ「芳洲庵」というところには、実際には対馬にある芳洲の墓のレプリカが庭先に建てられている。

ほかにも近松門左衛門の墓のレプリカが大阪・法妙寺というところにあるらしい。法妙寺が移転した際に近松の墓を据え置きにして保存したため、新しい寺地に供養墓として建立したとのこと。

ちょっと違うがこんなものもある。こちらは南北朝時代の武将・結城宗広の墓だが、実は墓石のデザインは楠木正成の墓を(パクって)模倣しているのだ。見比べてみると寸分違わず同じだ。


きわめつけは「赤穂義士の墓のレプリカ」である。もちろん赤穂浪士は四十七士。つまり四十七基作らなければならないのだが、なんと全国に4箇所もあるのだ。

福岡県福津市の新泉岳寺、北九州市八幡西区の花尾山中、福岡市南区の興宗寺、北海道砂川市の北泉岳寺。それぞれ敷地や墓石の並びまで完コピしているという恐ろしさ。興宗寺のものは特に再現度が高く、血染めの石や首洗の井戸まで再現してあるらしい。ここまでくると最早テーマパークである。

赤穂浪士の墓を完コピした場所のひとつである福岡県の新泉岳寺は、本物の赤穂浪士の墓から「四十七士の霊砂」を貰い受け「分霊」を祀っているという説明になっている。まあ要するに供養塔の一種のようなものだろう。

北海道の北泉岳寺も同様に、熱心な忠臣蔵ファンだった住職が昭和28年に泉岳寺の許可を得て建立したという。

「供養塔」であるなら何もデザインまで寸分違わず作らなくても良いような気がするのだが、「顕彰運動」どういう側面から考えれば形は似ていたほうがいいのだろう。要するに多分、布教したいオタクの感性というヤツなのではないか。そして確かに、形をそっくりそのまま作られたものには、何かそこに入ってる魂的なものもコピーされているような気がしてしまうのも事実である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?