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自由じゃない正解は一つ

さてと・・・この時間になると
「あれ、俺今日って何かしたっけ?」
「俺の人生に何か意味あること出来たかな。」
とかアンニュイな気分になって何かしらを残したくなることってありますよね?
こんばんわ、一日が終わろうとすると何かしたくなるのに朝になると何もかもめんどくさくなっている男、長瀬です。

いや、こんな話をしたくて書き始めた訳じゃない。
そう、タイトルにあるカッコいいこのお言葉。
実際には某「プロフェッ◯ョナル~仕事の流儀~」で井上雄彦先生が仰っていた一言です。

「自由じゃない、正解は一つ。」

重い。重いなぁ・・・井上先生が言うと特に(滝汗)
イチロー選手が言うのとどっちが重いかなぁ・・・。
あ、井上雄彦先生は漫画の作家先生です。
ググったりすると
「あ~あの筆で漫画描くひとね。」とか
「そうそう、漫画の最終回を黒板にチョークで描いて公開して、公開最終日まで(敷居など一切なしで)一切のいたずらをされなかった奇跡みたいな漫画を描いたひとだ。」
とか分かると思います。

この言葉のなにが格好良いかというと・・・
私はずっと写真にしても絵にしても何にしても
「何を撮るのも書くのも、芸術分野というのは全てを個人の自由に創造(想像)出来るのが良いんじゃないか!!」
と思っていたんです。
先日の日記でも書いてましたね。
「好きなものを好きなだけ好きなように」撮れば良いんだ!と。

が・・・実際に素晴らしい作品を世にだし続けている井上先生のこの一言に一瞬で納得しちゃったわけです。
「あぁそうか、作品を完成させるまでの自分がどうしたいかは自由だけど、実際にたどり着くべき点は一つなのか。」と。

ここは写真で解説した方が分かりやすくなりますかね。

こんな私にも結果として「あぁ、私はこの1枚を撮るために生まれてきたのかもしれない。」と感じる一瞬であったり、そう感じることの出来る1枚が撮れることがあります。
その瞬間がいつくるのかも分かりませんしそれまでにも何万枚とシャッターは切っています。
でもたしかにあるんです。
「ここでこの条件の中でこの場所に立ち、このカメラセッティングをし、このタイミングでシャッターを切ることが無ければこの1枚は撮れなかった。」
という1枚が。

いつ出掛けるのか?
どこへ出掛けるのか?
どこにカメラを向けるのか?
カメラの設定はどうするのか?
いつシャッターを切るべきなのか?

全部自由。
全部自分の好きにすればいいことだし全てを自分自身で決定しなきゃいけない。

これらが結果として、その一点に辿り着けた時にだけ「あぁそうか、自由じゃない・・・正解は一つだ。」って分かるんです。
そんなことほとんどないですが(笑)

そしてもし、いままでに「あれ、俺(私)っていままでに辿り着けたことないかも。」という方がいるならば安心して下さい。
井上先生が言うくらいですから。
たった一つの正解は必ずあります。

ただやっぱりそれって後から分かることなので、カメラにしても絵にしても歌にしても何にしても・・・それが分かるまでは何度でも何度でもシャッターを切り絵を描き歌を歌うんでしょうね。

とかなんとか書いているうちに今日が終わります。
この記事を読んで下さっている(ほとんど居ないけど)どこかの誰かにほんのちょっとでもなにかのキッカケかなにかにでもなってくれたなら良いのですが。
今日はこんな所で・・・おやすみなさい。


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