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八十歳のアリア 感想

こんにちは

今回の本はお父さんの本棚にあった糸川英夫さんという方が書いた古めの本で音楽や化学の専門用語がたくさん出てきてとても難しかったのですが、読んでみて面白かった所や印象に残った点がいくつかあったので糸川さんの生い立ちなども織り交ぜながら紹介しようと思います。

糸川さんは1927年のリンドバーグの大西洋横断に感動し中学、高校、大学ずっとヒコーキ屋になろうと夢見ていました。また、小学校のころからバイオリンやオルガンをやりそのまま東京高校から東京帝国大学(帝大)へ行きます。糸川さんはヒコーキ屋志望でしたから当然航空科へ行き中島飛行機という航空会社へ行き、色々な飛行機を手掛けます、そして33歳の時、陸軍からの徴用で帝大の助教授となります。帝大の研究室ではミサイルを作っており敗戦の3か月前に疎開します。疎開先は以前中学校だった場所の図書館で、そこの空き家にそこに寝泊まりをしていたそうです。そしてついに敗戦の玉音放送を聞き、日本はポツダム宣言を受諾します。その後、日本では日本では飛行機を作ることや研究することが禁止され、糸川さんは生きる意味を失い自殺を考えるようになります。その時、熊谷君という一人の青年が糸川さんのところを訪ねてきます。熊谷君はバイオリンを弾くのが好きな青年でいいバイオリンが欲しいといって糸川さんを訪ねてきました。熊谷君は先生のような技術者ならとてもいいバイオリンが作れると言ってその後45年間かけて世界に一つだけ化学バイオリン「ヒデオ・イトカワ」号を作っていくというお話です。

この本を読んで僕が印象に残った所は三つあります。

一つ目は中島飛行機で送迎係を務めていた時の事です。そのときはお客さん一人一人にカルテを作って「この人はこの前はこれを嫌がっていたからこうしよう・・・」など対応を変えていたそうです。中でも面白かったのは陸軍と海軍とで案内の仕方を変えるというところです、例えば陸軍は広い原っぱで訓練をしているため、近寄られると嫌がり、海軍はその逆で船や潜水艦などの狭い場所で生活しているからこそ親近感を持つ、などの統計がとれたそうです。

二つ目は中島飛行機で飛行機を設計するときです。糸川さんは飛行機を作るときにまず、誰の為に作るかを真っ先に考え三重県の明野という場所にある操縦者養成学校へ行き実際にどのような飛行機がいいのか聞いたことです。このとき自分の理想の飛行機を作るのではなく、お客さん目線で考えるという事はとても大事だなぁと思いました。

三つ目は飛行機の料金をケチるためにわざわざ座席料を取られないチェロを作ったことです。この話は、講演会の移動の時に飛行機を使っていた糸川さんがチェロは1シート分料金が取られるのにギターは取られなく悔しかったから、という単純な動機でした。ですが、僕ならわざわざ新しい楽器を作ってまで料金をケチりたいという発想がありませんでした、なのに糸川さんはそこまでしてチェロを軽々と作ってしまい、本当にすごいなぁと思いました。

僕はこの本を読んで客目線で考えたりすんなり諦めずに他の方法を考えるなど、この本から学ぶことがたくさんあるなと思いました。

これからは難しい本にもチャレンジして余裕があればnoteに書いていくのでよかったらスキをお願いします。

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