なぜスーファミ時代、新作ソフトが3割引で売られていたのか

ゲームソフトの高騰化はゆっくりと、確実に続いている。
DLC込のデラックスパックで小売税抜き9980円に達するソフトは少なくない上、初回限定版で一万円超えをし、はては特典をドカ盛りしたものが18000円で売られたりする。


こんな状況にかつての時代を思い出す人も多いだろう。

「そういえばスーファミソフトは小売価格一万円が当たり前だったなあ」

そう思うと同時にふと気がつくはずだ。

「どうしてあの時代、発売日から新作ソフトが3割引されてたんだ?」

これが何故か、説明できる人はいるだろうか? 
中には「あの時代小売の儲けはしっかり確保されていて、3割引するだけの余地があった」という論を張る人もいる。残念だが当時の小売を取り巻く状況はそう甘くはない。

ここから当時の状況を詳しく解説していこう。さあ、地獄の始まりだ。


まずは当時のスーファミソフトの価格の流通経路での割合がどうなっていたかを解説しよう。参考として一つの説を上げる。

https://kotetsu.game-waza.net/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%A3%B2%E4%B8%8A%E3%83%BB%E8%80%83%E5%AF%9F/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%92%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%80%80%E4%BB%BB%E5%A4%A9%E5%A0%82%E3%80%81sce%E3%81%AE%E5%8F%96%E3%82%8A%E5%88%86%E3%81%AF-

製造(委託)費
 1,000円 10.0%
ロイヤリティ
 2,000円 20.0%
ソフトメーカー取り分
 2,500円 25.0%
一次・二次問屋・小売店マージン
 4,500円 45.0%
合計 10,000円

画像1


都々逸さんのこの表は「ゲーム戦線超異常」より引用されたものだ。「スーパーファミコン ロイヤリティ」で検索すると一番上で出てくるので、もっとも有名な説と判断する。これを見て「そうか! 小売の取り分は45%もあるのか! だから三割引できたんだな!」と思う人も多いだろう(実際、youtubeにてそういった説を披露している動画を見たことがある)。


それは間違いだ。


この時代、ゲームソフトは基本小売とメーカーに問屋が入っている。かの有名な「初心会」がそれである。ざっくり10%は問屋が利ざやとして確保する。さらに町のおもちゃ屋さんは直接初心会と取引せず、二次問屋を挟んで商売しているところがほとんどだ。その二次問屋は複数のおもちゃ屋と取引し、それらの注文をとりまとめて初心会に発注する。その際5%くらいは自分の利益を確保する。
つまり町のおもちゃ屋さんには15%引かれた70%で入荷することになる。三割引してしまったら一円も儲からない。これはいったいどういうことだろうか。

ちょっと記憶をたどって欲しい。スーパーファミコン全盛期、なぜかファミコンソフトの多数を小売価格そのままで置いてあった町のおもちゃ屋さんがあったりしなかっただろうか? それがまさしくこの二次問屋を使って入荷していた場所なのだ。得てしてそういうところは値引き販売しづらい。
思い出してほしい。新作ソフトを発売日から三割引していたのは、大手家電屋やフランチャイズ店、その他任天堂エンターテイメント加入店(黄金のマリオ像があったところ)だったのではないか?
そういう大手の小売は二次問屋を介さず、一次問屋と直接取引を行っていた。なるほど、これで5%分を削減できる。3割引しても5%利幅が残る。

……5%だけ? と思うかも知れない。実は上記の表には様々な間違いが含んでいる。一つずつツッコミを入れていこう。

まず製造委託費とロイヤリティの比率がおかしい。任天堂の取り分の目安は概ね小売価格の3割だが、あくまで目安だ。製造委託費はここまで安くない。これはおそらく当時のROM代だけ(これも容量によって変わる)の話で、セーブデータ用のSRAMを搭載するとき別料金が数百円(時代によってかわるが概ね400円程度と思われる)かかるし、箱や説明書といった付属品の制作費もかかる。つまりロイヤリティはもっと低いわけだ。

そしてソフトメーカーの取り分もこれで固定ではない。
わざと取り分を薄くして初心会問屋に大量に買って貰おうと企むメーカーもいたし、逆に初心会問屋側から「売れ残る可能性が高いため」と、危険費なるものを支払い(500円程度)させられる場合もある。当時の問屋の力量がうかがい知える。
スクウェアはむしろ掛け率をあげて初心会問屋と喧嘩したこともあった。任天堂はスーファミ時代、初心会問屋をすべて平等に扱った(一応そういうことになっている)が、他サードパーティーは初心会問屋と個別に交渉を行った。数十万買う問屋には安く売り(買い叩かれたともいう)、そうではない問屋にはそれなりに高く売ったのである。

ここでややこしいのが任天堂からサードパーティーへの条件も一定ではない点だ。
サードパーティのソフトが任天堂内のテストプレイ集団「マリオクラブ」で高得点だった場合、製造委託費の一部負担を任天堂が行うシステムも存在したし、50万本越えの出荷がされるソフトに関しては任天堂がロイヤリティを減らした。さらにはスクウェア、エニックス、スト2フィーバーを巻き起こしたカプコンなどは最初からロイヤリティが優遇されていた。その分サードパーティーの取り分が増える話になるが、それをそのまま自前の取り分として確保するパターンもあるし、問屋への掛け率を下げてより多くソフトを出荷させようとした場合ももちろんあった。

さらに状況はゴタゴタする。当時のスーパーファミコンソフトには内部にCPU(コプロセッサと呼称されていた)を内蔵するものもあった。その場合当然製造委託費は高くなる。その分小売価格を引き上げるか、掛け率を引き上げるか。ROM容量を絞ってコストダウンするか。
逆に低容量なソフトはその分製造委託費も安かったので、その分小売価格を下げようとするメーカーもあった。

1994年発売の「けろけろけろっぴの冒険日記 眠れる森のけろりーぬ」の小売価格は6980円。セーブ機能もない、4Mb(4Mビットの意味。=0.5Mバイト。512KB)の低容量ROM使用だからこその小売価格である。このとき発売日が同じ「スーパーロボット大戦EX」は12Mb+セーブ機能で小売価格9800円。ちなみに近い発売日である「SDガンダムGX」は8Mb+セーブ機能と、さらに他にコプロセッサを内蔵していて9800円だ。

それに小売価格はあくまでサードパーティー側が決めるものだ。この頃発売されたタイトルでは4Mbでセーブ機能がない「スーパー囲碁 碁王」はなんと14800円である。この小売価格で掛け率を下げ、問屋と小売に値下げの余地をつくる場合もあるわけだ(この頃囲碁ソフトは全体的に高騰しているので、開発費分をそのまま上乗せしたのかもしれない)。「3割が任天堂の取り分である」とは目安であり、なかなか断言できない複雑さが垣間見える。


こうしたゴタゴタした経緯で川上から流れて来たソフトは、当然問屋から先の川下でもゴタゴタする。50万本売れる、と見込んで初心会問屋が確保したソフトの掛け率が50%だったとしよう。二次問屋には60%で流すことにして、任天堂エンターテイメント加入店には何%で卸すか? この場合の掛け率は固定ではないのだ。
もしこれで二次問屋よりも少ない量しか注文数が来ない場合は当然、二次問屋より条件が悪い65%程度で流す羽目になる。小売は必死に交渉を行い、もう少し上乗せした量を仕入れて掛け率をよくしてもらうことにした。倍の数仕入れて58%の掛け率で受けることになった。これで一安心……というわけではない。やってきた倍の量のソフトをなんとかして捌かねばならないのだ。発売日にその大量のソフトをどうするのか? 決まっている。他の店で買われるよりも先に、自分の店で売るのだ。3割引で大量に売りさばく! そうしてようやく12%の利幅が確保できるのだから。
そして任天堂エンターテイメントでは売上げ総額に応じてのリベート(払い戻し金)があった。年間取引額の最大10%が返ってくる仕組みだが、これがなかなか大きかった。契約している初心会問屋から「あと20万円分買ってもらえれば7%から8%にしますよ」と持ちかけられた時、小売はどうすればいいだろうか? そろばんをはじいて必死に計算を行う。年末商戦に賭けて普段よりも20万円分上乗せで仕入れを行い、そして普段よりも値下げして勝負をしかける場合もある。

当時、ファミコンショップは至る所にあり、デパートや家電屋でも売られている。競争は熾烈だ。たいていのゲームは発売一ヶ月後には新品がほとんど売れなくなる性質を持っていて、かつリピート出荷が三ヶ月後という悩ましい性質ももっていた。品切れしたら再注文を繰り返す、という手法は使えなかった。
だからこそ大量に在庫を抱え、発売日に一気に捌く。そのために値下げを行う。


つまり「なぜ発売日に新作ソフトが三割引だったのだろう?」という疑問の答えは「三割引にしないと商売が成り立たないから」という逆説的なものになる。


そして一ヶ月経ち見事全部売り捌けたら、小売の勝利であり、一割売れ残ったらトントン(さらに値引きして売れた分が利益となる)で、それ以上在庫が残っていたら地獄の損切りコースだ。ワゴンに突っ込んで赤字額を少なくする他ない。


こうした流れに人件費は含まれていないので、何をどうやっても小売は儲けることができそうにない。(なんせ利幅が12%なのだから)

それを埋めるための要素が中古である。普段新品購入している場所でこそ中古ソフトの買取を行うし、中古ソフトの購入への導線となる。「新品ソフトは客寄せ。利益は中古」の客寄せ部分が上記で語った内容である。「売上げは新品7割、中古3割。けれど儲けは新品3割、中古7割」というのがこの時代を生き抜いた小売の言葉である。

値引きせずそのままの価格で売れるなら小売としては願ったり叶ったりであり、特定タイトルにおいては発売日、値引きせずに販売して利益を確保するケースもある(私もダービースタリオン3を発売日に12800円にて任天堂エンターテインメント店で購入した記憶がある)。ドラクエやFFは発売日には高値安定の商材だが、経過するごとに急速に価格が下落する。その後は中古を回すことで店に利益が落ちる計算だ。

こうした無茶苦茶な状況が成り立っていたのは、当時のゲーム市場が拡大の一方だったから、という面がある。
テレビゲーム流通白書によると、ソフトウェア市場は1990年から1995年までは順当に拡大を続けていて、1990年に2300億円程度だった市場は1994年には4000億円を超えている。この急拡大した市場に目をつけた輩が大量に流れ込んだ。
そのため各地にゲームショップが次々に作られ、二次問屋、三次問屋も多数現れた。
激化する競争に打ち勝つために、値下げできる店はどんどん値下げをした。その値下げの余地を確保するために問屋から大量仕入れを行い、それを捌くために値下げを行う。地獄のような値下げサイクルを小売は行っていた(このとき次第に昔ながらの町のおもちゃ屋さんは、激化する競争を嫌がりゲームから手を引き始めた)。


小売が大量仕入れに走った理由にはもう一つある。
小売は望んだ数量を問屋に発注するわけだが、人気ソフトの場合、その望んだ数量どおり来ることは実は少ない。そのため小売は「如何ほど減らされるか」を念頭にいれて多めに発注する。
なぜこのような事態になるのか? 競争過多に陥った状況で各店舗が売れる見込みの最大限の発注を行えば、当然問屋からまとめられたメーカーへの発注数は膨大なものになる。メーカーとしては作った分売れるわけだから、その分売れば良い、と思うかも知れない。しかし供給過剰に陥ったゲームは当然値崩れが起き、次回作の売上げに支障がでる。そして市場は混乱し、ユーザーも適正価格で買う意欲が失われてしまう。長期的に見て良いことなど何もない。そのためメーカーと初心会は適正出荷数を模索していた。そうして初心会は買い取った「適正出荷数」を、どの店に配分するか一方的に決める特権を有していた。
どの店に優先的に配分するか? もちろん「抱き合わせ」である。不良在庫として動かなくなっている不人気ソフトを数多く買ってくれた小売にこそ優先的に人気ソフトを供給する。小売は人気ソフトの配分欲しさに歯ぎしりしながら不良在庫をワゴンに突っ込んでいったのだった。当然利益はあがらない。それを中古で補ういびつな状況は、それでも拡大する市場のなかで回り続けていた。


こうした状況を断ち切ったのがプレイステーションの流通革命である。
掛け率はどんな商材も75%で一緒。CD-ROMを使っているためリピート出荷が早く、大量に仕入れる必要もない。これで中古に頼ることなく新品を売って儲けを出しましょう……。結果的にはプレイステーションの勝利で流通革命が起き、この状況に終止符が打たれた。値下げ販売は原則として禁止され、それが解除された後も3割の値引きなどなくなった。

これが大まかにあの当時、小売で起きていたことの経緯である。プレイステーションの登場に小売が喜んだ理由がわかってくるかと思う。だからこそプレイステーションは小売の救世主になったのだ……で、終わることができないのがゲーム流通の難しいところなのだが。この後、SCEと小売は中古の取扱いで全面対決をする羽目になる。

この後、大量に現れた小売店、いわゆる「ファミコンショップ」は淘汰の時代を迎えることになる。その詳細についてはまた別記事を用意したい。スーファミ時代、私たちがかつて夢中でゲームを買っていた頃、背後でこのようなゴタゴタが起こっていたことが少しでもわかってもらえれば幸いである。

-終わり-


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