「金のマリオ像」とはなんだったのか -任天堂エンターテイメント-

「金のマリオ像」というものがあったことをご存じだろうか。ゲーム屋や家電量販店の一角に置いてあった金色に塗られたマリオの模型(もちろん純金製ではない)で、そこの一角は「任天堂エンターテイメント」と書かれた看板が下がり、多種多様のスーパーファミコンソフトと公式グッズが並んでいた。当時の子どもたちは夢中で遊びにいったが、かつての小売店側からすると当時を思い出しなかなかに冷たい表情になってしまう、とされるものだ。


いわく、300万円の契約金を支払わされた。

いわく、それを買わないとゲームソフトが入ってこなかった。

いわく、近くの店が先に加入したため、うちは加入することができなかった。


怨嗟の声は四方八方から聞こえており、当時の任天堂・初心会流通に対する不信があったことを物語っている。

さて、いったい任天堂は何を目的としてこの「任天堂エンターテイメント」を始めたのであろうか? この記事ではより俯瞰的に、この謎のシステムについて解説する。


そもそも任天堂エンターテイメントとはなんだったのか? 国友隆一氏が書いた「セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?」にてこのシステムについて詳しく解説されている。

任天堂エンターテイメントとは、1991年から任天堂が始めたフランチャイズシステムで、その店の売り場の一角を指定された任天堂商材のみの占有スペース化することでその承認を行う。つまり、「店の中にある任天堂商材専用の売り場の名称」ということだ。契約書の一部を要約抜粋すると


1.該当店舗では指定された商品のみ、展示・販売する。この指定された商品に中古は含まれない。

2.仕入れる問屋は一カ所だけにし、それを書面にて任天堂に提出する。複数問屋と契約している場合は、それらの割合も含めて任天堂に提出する。

3.商号、商標に関するロイヤリティは三年分で、3万円。これを任天堂に支払う。このロイヤリティは返還されることはない。

4.本件店舗を開設するにあたって、一名以上の常駐専任管理者を置く。

5.この店舗を開設するにあたって、関係法規を遵守するものであり、抱き合わせ販売等は一切行ってはならない。

6.この契約に関する訴訟については、京都地裁で執り行う。



この契約を読んで色々と思う方はいるかもしれない。ロイヤリティが三万円!? と思う方もいるだろう。実はこの契約条項には重要なことが抜け落ちている。例の金のマリオ像のことだ。

実は契約にあたって、任天堂から提示された条件の中に、その金のマリオ像の購入義務がある。マリオ像だけではなく、看板、棚、備品、それらの運搬料はすべて小売持ちだ。そのため実際の費用としては5坪用でも300万円、10坪のもので450万円はかかったとされている。一般的に認知されている「契約料」というのはこっちのことだ。マリオ像単品が300万円するわけではない。

もちろん、このフランチャイズに加入する利点はある。まずリベートが存在する。仕入れた金額の最大10%が小売店に還元される仕掛けになっている。そしてもう一点、入荷するソフトの量が格段に増える。
証言では横浜にあるとある百貨店には、ゼルダの伝説神々のトライフォースが100本入荷したのに対し、ライバル店であり任天堂エンターテイメントに加入していた横浜高島屋には1200本納入された。これでは話にならない。さらに別のライバル店、横浜そごうも高島屋に触発されて任天堂エンターテイメント入りを果たしていた。結果、横浜地区においてゼルダの過剰供給がなされ、東京では足りないのに、横浜では余っている、という事態に陥った。

この事態に驚いたのが非加盟店である。さすがにここまで差があればどうにもならない。任天堂エンターテイメントに加入する小売店が雪崩のように現れた。全国の小売約2200店が加入した時点で任天堂は新規加入の一時受付休止を行った。

概ねこれが任天堂エンターテイメントの仕組みと、当時の状況である。問題なのは「任天堂が何を目的として、このシステムを作り上げたのか」を具体的な説明を誰も上手くできないのだ。

同書では「任天堂はこの売り場の展開を抱き合わせ販売などの防止のためと説明していた」との記述がある。確かに上記契約に抱き合わせ販売の禁止が盛り込まれている。任天堂のコメントとしても「抱き合わせ販売が以前と比較して減り、当初の目標を達成した」であった。
しかし同時に著者が指摘するのは「そんな倫理的問題のためにこんな大掛かりなことをするのは不自然」である(私もまったくもって同意する)。他の主目的として「競合しているNEC、セガの商材を小売の追い落とすためではないか」と上げている。なるほど、確かに当時PCエンジン、メガドライブという競合商材が市場にあった。そこの防衛策として任天堂が提案したのだろうか。

ところがこの説には疑問が残る。そもそも任天堂はこの時点で押しも押されもせぬトップシェアを握っている。シェアを維持するための施策だろうか? それにしては少し変な話で、300万円という結構な大金を小売店から徴収している。もし本当に多数の小売店を占有しようとするならば、その諸経費の半分くらいは任天堂が負担するだろう。その上、上限を定めてしまっている。さらには「あまりに近すぎる店舗が契約済みの場合、契約を断られた」というパターンもあった(横浜そごうと横浜高島屋もずいぶん近いが、これはおそらく店舗の規模が大きいための特例措置なのだろう。これら2つが町のゲーム屋さん程度の規模ならば話は違っていたはずだ)。

本当にNECとセガを排除する気ならば、もっともっと数を増やさなければならない。しかしこの段階では明らかに任天堂は加入店を抑制していた。

事実、当時セガも同等のフランチャイズシステムを立ち上げ、対抗している。任天堂エンターテイメント非加盟店中心に参加を呼びかけ組織されたそれらは、一応稼働して機能していたようだ。このあたりの資料は全くなく、NHKの当時のゲーム特集番組で確認できるのみである。「NECとセガの売り場を排除」という目的は達成不可能のように思える。そのため、やはり主目的としては違うように見える。優良小売内の一等地を専有する、程度の目標ならば概ね達成したと言えるだろう。

(余談ではあるが、同時期、スクウェアとエニックスが小売店に対してフランチャイズを行うと広告活動を行ったことがある。一店10万円ほどで店の隅にスクウェアコーナー、エニックスコーナーを開くことができる、というもので、任天堂エンターテイメントの縮小版といえる。しかしいつのまにか消えてなくなった。任天堂が止めさせたのだ、と噂された)


もう一つの説がある。上記のNHKのゲーム特集において「アメリカの量販店の日本進出への対抗策」という説明がなされていた。これはトイザらスのことである。トイザらスは1991年に日本に正式参入し、任天堂と問屋を通さない直接売買契約を結んだ。
トイザらスは大量仕入れ、大幅値引きが売りの量販店である。なるほど、トイザらスが猛威を振るい任天堂内のシェアが上がってしまえば、その後任天堂はトイザらスの言い分をはね除けにくくなってしまう。掛け率もどんどん悪くなっていくことだろう。そうした事態を防止しようと、他の小売を絞って強化する目的だろうか?

ただしこれもおかしな話になってしまう。当初任天堂は小売店の値下げを厳しく監視していた。「セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!?」でも、NHKのゲーム特集番組においても、任天堂が発売日から大幅値引きしてしまうような小売店は排除しようと企み、値下げに敏感に反応していたとの表現がある。結果的には残ったゼルダを値下げ販売するはめになってしまうわけだが。

さて。「値下げ販売を行ってくるトイザらスに対抗するため作ったフランチャイズ店にて、値下げ販売を禁止する」とは筋が通るだろうか。通らないだろう(なお、この価格統制は長くは続かず、スーファミ中期以降は新作でも値下げ販売が状態化してしまう)。

様々な状況を鑑みて、なかなか答えがでないということはわかってもらえたと思う。任天堂が何を目的として任天堂エンターテイメントを構築したのか、具体的な説明が誰もできないままなのだ。

僭越ながら私が一つの仮説をここに提案したい。


任天堂エンターテイメントに、壮大な目的などなかった。


1989年からアメリカでNOA(Nintenndo Of America)が行っていた「World Of Nintendo」がある。
これは小売店の一角を任天堂商材と、任天堂が用意した什器で染め上げるフランチャイズシステムである。NOAが用意したディスプレイで装飾し、試遊台を用意し、備え付けられたテレビには任天堂のTVゲームCMがリピートして流す。そしてパープルやイエローといった曲がった蛍光パネルが壁と天井に張られ、中にはレーザー光線でライトアップされた商材もあった。子ども心をがっちり掴み、如何にしてNES(Nintendo Entertainment System。北米版ファミコンのこと)を買わずにはいられないようにするか計算されつくしていた。当時、すでに北米では小売店は大型デパート化を完了しており(ウォルマート、シアーズ、メーシーなどなど)、家族連れで各自おのおのが自分の買い物を楽しむようになっていた。
そのため子どもたちをWorld Of Nintendoに置き(今では考えられないだろうが)、自分たちはお目当ての買い物に専念することができた。 小売店に費用はかかるがソフト一本、NESが一台売れるたびにリベートとして充当され、還元される仕組みだ。これによって小売店のNintendo商材の売上げはさらに伸びた。その売上げは小売店に還元され、NOAも大儲けした。大成功した販促策の一つである。

おそらくは任天堂エンターテインメントは、NOAのこれを日本版にアレンジしたものである、と考える。
配色は日本の子供向けに抑えられ、親しみやすいマリオの像を作る。試遊台もつくる。巨大なゲームボーイの模型もつくる。そうして子どもたちの購買意欲を煽り、ゲーム市場を加速させようと企んだ。アメリカと違い、日本では任天堂は直接小売と契約していたわけではないから、間に初心会を挟む。そうして初心会を通じて商品を提供し、リベートを小売に届けた。思惑は単純明快。「より多く、子どもたちにソフトを買って貰おう」だ。

しかしダーティな面もある。日本でもファミコン・スーファミシェアは圧倒的だった。そのため費用は全額小売負担でいいだろうと判断を下した。入らない小売がいるのは別に構わない。売れるところで売れば良いのだ。
小規模店は5坪というスペースを用意できず(当時、プレハブ小屋を流用したような超小規模店がそこそこあった)、加入できなかった。300万円という余剰資金を用意できなかった小売店もあった。入れた小売店もその後の過激な値引き競争に晒される羽目になった。

この後の任天堂エンターテイメントが辿った軌跡はあまり良い物ではない。1994年に発売されたプレイステーション・セガサターンといった次世代機戦争に任天堂は劣勢を強いられた。その状況に合わせてリベートは年々削られていった。入ってくるソフトの量は人気ソフトの場合は減らされ、不人気ソフトは多く入れさせられた。
そういった状況であったため、任天堂エンターテイメントに加入していながらもSCEの特約店に「鞍替え」した店も存在する。小売店もいつまでも任天堂だけ売っているわけにはいかなかった。

最終的に任天堂エンターテイメントは自然消滅を迎える。この時期ははっきりしていないが、契約に初心会問屋が絡んでいることを考えれば、おそらく1997年初心会解散にあわせて瓦解したのではないだろうか。この後、任天堂は流通革命を必死に行うはめになる。


さて、駆け足に任天堂エンターテイメントの歴史と、その背景の解説を行ってきたが、疑問は解けただろうか。おそらく釈然としない方が多数かと思われる。任天堂エンターテイメント周りについては恐ろしく資料が少なく、また証言もあくまで小売店側に偏り、後期、任天堂側から正式なコメントは出ずに消滅を迎えた。「何が目的だったのか?」が明言されず終わっていったため、推察する他ない。この仮説もどこまで妥当性をもつかはわからない。その判断はこの記事を読んでくださった皆様にお任せする。

現代において、まれにネットオークションでこの「金のマリオ像」が出品されることがある。メルカリにおいては概ね15000円以上で取引されているようだ。現在でもあの黄金のマリオ像にもの懐かしさを抱き、購入意欲をかき立てている人がいる。

もし任天堂が単純に、子どものたちの心に訴えて、より一本でも多くのゲームを買って貰おうと、配色を考え、装飾を決め、マリオの像を作り上げただけだとしたら……まさしく目的は達成されていたのではないだろうか。



-この記事は新たな資料が見つかった場合、大きく加筆修正する可能性があります-


参考資料

セガvs任天堂 新市場で勝つのはどっちだ!? 国友隆一

ゲーム・オーバー 任天堂帝国を築いた男たち デヴィッド・シェフ

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