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善意の悪行。

しばしば無自覚にやる。
指摘されても、善意なので改まらない。

私は大学生の時分に結婚式場でアルバイトをしていた。配膳と式場メーキング&撤収である。
サービスは、お客さんの煩わしい思いを最小限に止めて、お客さんが望むものを提供するのが正義だ。
お客さんの視線一つで呼ばれているのに気が付くために、会場内では気と目を配る。お客さんがバーカウンターまで行かないでもいいようにするだけじゃなくって、女性であれば、お化粧に配慮してストローつけるし、子供であればストローも短くする。お子様が退屈して騒いだりして困りそうな事態になりそうなら、別室のご案内をする。お客さんが不快にならないように、黒子に徹する。
最小限の煩わしさと、プラスアルファの心地よさのために先回りする。

サービス業はそれでいい。

お客さんの成長なんて求めないから。むしろ、如何に先回りしてお客さんを骨抜きにするかが大事だ。心地よさに依存して離れられないようにしちゃったら、最高。顧客を獲得したということに他ならないのだから。
自分が賢くなって、可能な限り先回りしていればいい。それで、十分だ。相手の身になって、相手の望む以上のものを提供していくのは心地よい。相手を出し抜いて、虚を突き、歓心の視線を頂き、すまし顔で応える快感がある。

しかし、教育業では悪手になる。

教師が動きすぎることは、生徒の成長の機会を奪うことに他ならない。

そして、私にはこの悪癖がある。直していきたいところだ。

成長するための某かにに使わせていただきます。