見出し画像

「何で?」なんて聞かれたって、わかんないよ。

したくってしてるわけじゃないんだから。

その質問に意味あるの??
その質問に意味を認めた場合、「理由ありきの行動であるかどうか」を問うていることになりますよ。
軽ーく、嫌みっぽくなりますけど、いいですか?
よしんば嫌みでなかったとして、どんな原因理由を想定しているのか。
とんだエキセントリック少年ガールですよ。

ただの単なる、粗相だよ。
食べこぼしだよ。
唇の端から擦ってんコロリン、落ちちゃったんだよ。
他意はないよ。
よそ見もしてないよ。
箸の先まで神経が行き届かないんだよ。
モノ慣れてませんよ、どーせね。
              《想像上のちびっ子心内駁論》


食べ物をこぼすことは、ちびっ子にはよくあることだ。
(ちびっ子に限らない。私もよく、こぼす。←それは胸を張る所ではないということは重々承知している)


手で持って食べるのであれば、こぼすことに自覚的であれると思う。
指先には神経が通っているからね。こぼれそうだから、指の力の入れ方を変えたり、もっと力を入れてみたりと状況に上手く対処しようとして試行錯誤ができると思うの。
でも、摘まんでいるのは、箸なの。お指じゃないの。神経通っていないの。
箸歴、まだ一桁なのよ。ベテランじゃないの。

親として、ちびっ子にパーフェクトを求めがちなところがある。
その心は、結構な善意でできている。
例①家の外に出たときつつがなく箸さばきが出来なくて、劣等感を得ないようにさせてあげたい。
例②食事のマナーは人物の品性として見られることもよくあるから、よいようにさせてあげたい。
例①②は余計なお世話ともとられることもある。
完全な親の願いである。子供の願いかどうかはよくわからない。子供の願い足りうるかどうかは、子供に聞かねばわからない。
つまり、例①②は完全な親の願いであるので、子供が親の願い(教え)に従わなければならない理由はない。また、その気にさせるのは、させようとしている人間の義務だ。
だから、親としての善意の願いが子供に通じなかったからと言って、冒頭のように注意したり、責めたりしてしまうと関係がいびつになるのだろうと思う。子供は上手くできないことや期待に応えられないこと、鬱陶しく期待をかけてはたびたび爆発する親に不満を募らせるし、親は善意を善意として受け取らない(=行動しない)子供に鬱積したモヤモヤがいずれ怒りとなる。

よくない。
よくない。
良くない。
批判も非難も人を動かす時には何ら効果を発揮しない。
対立が深まるばかりだ。

子供が心地よく行動できるようにその気にさせよう。

よーく観察して、よーく。

よそ見しないで食べてる?
「いいねー。ちゃんとよそ見しないで食べてるじゃん。そうやってしてると、こぼさずに食べられるね。」
お茶碗に手を添えて、口に寄せて食べている?
「それ、いいよね。箸からこぼれたところで、皿の上にちゃんと着地できるもんね。」
あー。残念。少しこぼしちゃったか。
「はい、ティッシュ。残念だったね。気を付けてたのに。これでふくといいよ。よしよし、キレイになった。」
「最近、あんまりこぼさなくなったよね。気を付けてるからだろうね。」
「全部、キレイに食べてくれたんだね。すごく嬉しい。ありがとうね。」

子供とどんな関係を築いていきたい?


成長するための某かにに使わせていただきます。