見出し画像

父の腕相撲の目的

父との腕相撲はスキンシップだった

父とは最近、親しくなった。
厳格な人で、昭和を絵に描いたような父は、あらゆることに厳しかったが、とりわけ厳しかったのは“礼儀”に関してだった。
挨拶やお礼、ルールというものは、厳しく教えられた。

食事中に席を立つことはいかなる理由があろうとも許されず、トイレに行って帰ってくると、すでに食事は片付けられていた。その上、座布団なしで正座をして食べることが義務付けられており、これさえも足がしびれようが、足を怪我していようが言い訳は無意味だった。
このように、決まっていることを守れない場合は、問答無用で罰せられた。

こうした環境であったこともあり、父との間には“壁”が存在した。
親しく話せる仲でもなく、話すときは敬語が用いられた。
返事も「はい」が一度と決まっており、「いいえ」と拒否することは許されなかった。
ある時、父から携帯電話に電話があった。
「はい。かしこまりました。……はい。……はい。理解いたしました。はい。失礼します」
こうして切った電話に対して、隣にいた友人が「仕事の人?」と聞いてきた。
まるで上司と部下の会話のようだからだろう。

こんな父にも弱点はあった。
それが「お酒」だった。
お酒を飲んだ時の父は、歌っては笑う、陽気な人物へと変貌した。
そんな陽気な父でも、私にとっては、怖い存在だった。
陽気なのは最初の方だけで、お酒が深まってくると、だんだんと目が鋭くなり、言葉がヤイバのように飛んでくる。
若い頃から運送会社で管理職をしていた父は、大抵の相手に対してなら口も立った。本をよく読み、論破することができるほどの話術を持っていたため、あらゆる相手でも言い負かす自信があったのだろうと思う。
それが仇となって、お酒が入ることで、言い負けそうになると手が出てしまうのだ。
母に手を上げることも多かった。

私にとっては、どんな猛獣よりも怖い存在だったのだ。

しかし時々、気まぐれなのか、「キャッチボールやるぞ!」と誘われて近所の公園に行くこともあった。当然逆らえないため、拒否権はない。
公園に着くなり、ろくに会話もせず、いきなり投げ始めてくる。
その投げ方たるや、全力であった。
とてもではないが、小学生に向かって投げる速度ではない。大谷翔平もビックリの球速が出ていたのではないかと、今でも脳裏に焼きついているほどだ。
「よけるんじゃねー!」
怒号が飛んでくる。いやいや、取れるわけないだろ。
「ごめんなさい」
と謝るものの、やはり反射的によけてしまう。何度か繰り返すと父は、ため息をついて家に帰っていってしまった。
取り残された私は、トボトボと家路についたが、帰ったら父はまたお酒を飲んでいた。

おそらく父は父なりの、息子とのコミュニケーションのつもりだったのだろう。
不器用な父なりに、息子のことを考えてのことだったのだと、今にしたら思えるのだ。

気まぐれは、キャッチボールだけではなく、
「おい、腕相撲やるぞ!」
と、強引に腕相撲の土俵に上げてくることもあった。
こちらには拒否権がないのをいいことに、好き勝手言ってきやがって、くらいにしか思っていなかった当時の私は、適当にやろうと思っていた。
「真剣にやれよ!」
なんだか嬉しそうだ。こんな嬉しそうな顔を、今ままで見たことがない。
グッと手を握った時、父が意外なことを言った。
「あれ? お前の手って、こんなにデカかったか?!」
さらに嬉しそうな顔をした。
急に腕相撲を挑んできて、自分の力自慢をしたいのではないのか? と、不思議な気持ちになったのを記憶している。

「よし、いつでもいいぞ」
ニコニコした父が、私の目を見てうなずく。
グッと力を入れた。
相手の手に、底知れないほどの力があることを感じる。

両親が20歳の時に私は生まれた。
つまり、父とは20歳しか離れてない。いや、私が7月生まれで父は12月生まれだから、厳密には19歳差だ。
私が10歳の時、父は30歳。勝てるはずもなかった。

案の定、負けてしまった。
圧倒的ではなく、いい勝負ができたのは、父の優しさだろうか。いや、そんなことをするような父ではない。もっと極悪非道な人だ。
情けなく負けた私に、またため息をついてくるのかと思っていた。
しかし、父は、負けた私に優しい笑顔でこう言った。
「いい勝負だったな。次は負けるかもしれん」
そんな父の目には、うっすらと光るものが見えたような気がした。

その時の様子を、先日、父に話した。
そんなこともあったと、40年も昔の出来事について話した。
「ちょっと手を貸してみろ」
そういった父は、腕相撲は今では勝てんと笑いながら、私の手と自分の手を合わせて比べた。怖かった父に直接触れたのは、あの時以来だった。

「40年ぶりだなぁ、お前と握手したのは」

握手したと言った。
腕相撲ではなく、握手と言ったのだ。
そう、父にとって、あの時の“気まぐれな腕相撲”は、自分の力自慢ではなく、握手がしたかったのだ。
父は、私のことを、心から愛してくれていたのだ。
そう考えたら、全力のキャッチボールもいい思い出になった。

とっても嬉しいです!! いただいたサポートはクリエイターとしての活動に使わせていただきます! ありがとうございます!