噺家による文楽のススメその三『女殺油地獄』
【文楽のススメ】そのニでは、『心中天網島』について書いたが、今回はこちら。
『女殺油地獄』
こちら、パッと見よめないだろうが、タイトルに「殺」と入ってるし、さらに「地獄」も入ってるし、なんだこのタイトル!っては具合である。
たまに映画やドラマで、タイトルと内容が異なる場合があるが、この作品はタイトル通りの内容なのだ。読んで字のごとく、女を殺して油まみれで地獄なのだ。
まさに、
女殺油地獄
(おんなごろしあぶらのじごく)
である。
こちらも、先月観てきた近松作品集のひとつである。特にこちらの作品は超有名で、実際にあった事件を元にしている。
ストーリーとしては、油屋の道楽息子の与兵衛が主人公。この男の道楽っぷりはすごく、母や義父(本当のお父さんは亡くなっている)を殴る蹴るの場面があり、そこを見れば、このタイトルらしい主人公だなと思う。ところが、途中まではほぼ人情噺なのだ。
落語には『文七元結』という人情噺があるが、それと同じように笑いあり、涙ありのストーリーなのだ(知らない人は志ん朝師匠を聴いてね)。
与兵衛は家を追い出される。
場面は、与兵衛が金に困っているところにかわる。
「二百匁どっかに落ちてなねえかなー」と言った具合で呑気である。与兵衛は、同じ油屋である豊島屋油店のお吉に金を借りようとする。店に入ろうと思ったその瞬間、義父がやってくる。与兵衛はわきに隠れる。義父が店に入り、与兵衛が店に来たら、この金を渡してあげてほしいと言うのだ。なんて優しいお義父さんだろう。泣きポイントである。
そのあとに、今度は母もその店に来る。義父は一人で断りもなくこの店へ来たのだろう。金を渡そうとしているところをバレるのは体裁がよくない。隠れようとしたところに、母が入ってくる。
「なに隠れようとしてんのよ」
「いや、別に」
「間男する年じゃあるましいし」
ここで、笑いポイントである。
義父が言い訳していると、母の懐から金が落ちる。母も金を渡そうとこの店にやってきたのだ。なんて暖かいストーリーなのだろう。バカな息子といえど、かわいいのだ。だが、我が子のことを甘やかしたくはない。両親が二人して、金を持ってきたというのがバレたくはないのだ。
するとお吉は、
「ここに落としていって下さい。誰かよさそうな人に拾わせましょう」
と、なんて粋な方だろう。
すると母は、
「このちまきも、どっかの犬に喰わせてください」
両親は泣いている。
わきで、一通り話を聞いている与兵衛‥。なんて素敵な場面だろう。なんにも知らずにこの作品を見たら、素敵な話だなあ。いい設定だなあと思う。ところが、ここで思い出していただきたい。この作品のタイトルを。
女殺油地獄
ここから、怒涛のサスペンス作品へと変貌していく。
両親が店から出たあと、店へ入る与兵衛。
「わきで全て聞いてました。」
「そうでしたか。それは都合がいい。あなたも、心を入れ替えて、、、」
さあ、ここで与兵衛はこのタイトルの主人公として、相応しく、人間としては相応しくないことを言う。
「まだ金が足りないから、お吉さんからも貸してよ」
お吉のほうは、奥の部屋に2人の子供がいる。そして、旦那は仕事で帰りが遅い。もちろん、断る。
「じゃあ、油だけでも貸して下さい」
同じ油屋である。油ならいいかと、柄杓で桶に油を入れようと背中をむけるお吉。そこへ脇差を持った与兵衛が近いていく。
さあ、ここからクライマックスである。
お吉が油を入れようと、その油に反射してキラリと光るものが‥。後ろを振り返るお吉。慌てて、脇差を隠す。
「今のはなんですが、与兵衛さん?」
「いや、別に‥」
「右手を出して下さい」
持ち変えて、
「ほら見て。なにもない。」
そこから、女を刺し殺そうとする。そこから、逃げようとするお吉。
逃げ惑うお吉が、途中で油の桶がひっくりかえる。あたりは油でヌルヌル状態だ。
そこから、人形遣いさんの真骨頂である。上手にいたお吉が下手に、下手にいた与兵衛が上手にスーーッとすべっていく。人形たちが動きまくるのだ。油で滑るのを必死に堪えようとするが震える右足。こと細かく人形は動いていく。
このシーン、めちゃくちゃ怖く、ドキドキする。だが、人形たちがコミカルに動きまくるのだ。そこが、ヌルヌル相撲のようにちょっと面白く、かわいいのだ。観客も笑っている。だが、怖いのだ。また、それとは別に与兵衛にも感情移入していく。殺す場面を見たくなってくる。自分の中の奥底にある人前では出せないような感情が湧き上がるのだ。笑いと、怖さと自分の知らない名前のない感情で、心はぐちゃぐちゃになっていく。タランティーノ映画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』と似ている部分があるなと思った。
歌舞伎も同じ演目があるが、この男をもっとかっこよく描いている。女の髪が油で濡れて乱れ、女を刺す瞬間、歌舞伎ならではの見栄を切る。そこが美しいのだ。
殺す瞬間を美しく描くという古典芸能のおおらかさ。本来人間としては絶対にあってはならない瞬間だが、今の今までにこの作品は残っている。ということは、どこかで人間として、そういういけないものが、言葉にしないだけでその性分を持っているからかもしれない。
男は女を殺し、鍵を奪い、金庫を空ける。金を盗もうとするが、脇差をガチガチに握っていたため、指が開かない。指一本一本開いていく。そして、女を殺したことが現実味をおびて、震えてくる。人は殺したことはないが、ものすごくリアルを感じる演出なのだ。
そして、男は逃げていき、この作品は終わるのだ。まさに、
女殺油地獄
である。
そして、いつもより定式幕が閉まるスピードが早かった。三味線と太夫さんは、まるで隠し扉のように、クルンと回ってはけるのだが、
そのスピードが早い。男が逃げて、チョンチョンチョンと木が鳴りながら、あっという間に定式幕が閉まり、客席が明るくなる。非日常から、一気に現実に戻されるのだ。
そして、文楽は胸にグッとくるキラーフレーズが盛りだくさんなのだ。
今回の作品の僕が思うキラーフレーズがある。
お吉が、娘三人のために金はやるから、助けてくれと与兵衛に言った後に言ったのがこちら。
「こなたの娘が可愛いほど、俺も俺を可愛がる親父がいとおしい。」
どの作品にもグッとくる言葉がある。文楽のどこが好きかと言われれば、実は僕は、言葉を見ている。七五調のリズムで読まれるその言葉たちは、すっと入ってくるのだ。
人形の動きはもちろん、言葉に注目することも、オススメである。
つづく
タイトル画像出典:SPICE
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