見出し画像

祈り・藤原新也

カミさんと世田谷美術館へ行くことになった。

今やっている展示が藤原新也という人なのだが、日曜美術館という文字通り美術番組で企画展の紹介をしており、一瞬見て、行きたい!となった。
「有名な人?」
とカミさんに聞くと、
「超有名だよ。」
カミさんは絵を描いている人なので、当たり前だが、超詳しい。写真家で、1983年に出版された「メメント・モリ」という本が未だに有名で売れているらしいのだ。
今の美術館は、日時予約をしなければならない。土曜日の14時30分に予約した。噺家としては土日は働き盛りなのに、残念ながらお休み。ほかの噺家は仕事があるのかなーとなんとなく落ち込みながらの当日であった。

 行く前に昼飯を食べることになり、ルートから少し外れるが小田急線の喜多見駅にある、お蕎麦屋さんに行くことにした。丸屋というお店で、ここが美味しいらしい。僕らが行くと、近所の家族連れで行列ができており、地元の人たちに愛されているのが分かる。こういうところは間違いなく美味しい。

ようやく順番が来て席に座り、迷いながらも天丼セットを頼んだ。お蕎麦が来る前にお店の情報をなんとなく調べると、俳優の相島一之さんがこの店を紹介している。カミさんに、
「この俳優さんも来てるよ。ほら、鎌倉殿の13人で運慶やってた人。」
「へえ、そうなんだ。」
その瞬間、隣に一人で座っていた女性がチラッと僕の方を見た。地元の人だろうか。ミーハーだな、こいつらと思われたのかもしれない。実際にミーハーだし恥ずい。
「お待たせしましたー」
注文した天丼セットが届く。

あー、今隣の人にミーハーだなあって思われてんのかなあと思いながら天丼セットを食べたのだが、そんなことは吹っ飛ぶ美味しさであった。そばがツルツルで、天丼がタレでシミシミで、そりゃ並ぶわ。気付けば、時刻は14時10分。家を出るのが遅れたのと、並んだためロスしてしまった。14時30分予約で、サイトによると30分遅れの15時までに行かなければならないらしいのだが、今ならまだギリギリ間に合う。

 電車で一駅乗り、バスに乗り換えた。普段あまりバスには乗らないので、なんとなく楽しい。窓側に座り上機嫌に本を読んでいるとカミさんが、
「乗るバス間違えてる!」
「え?」
「全然違うとこ向かってるよ!」
「え?」
いつも乗り間違える。今日こそは大丈夫だろうと乗るのだが、いつも間違える。「渋24」とかこんなんで、よくみんな判断できるものだ。
「ここで降りよう!」


『次大夫堀公園前』

どこですか、ここ?

世田谷のどこかである、という安心感があるからいいが、そうでなければ泣き出したいところだ。バスの迷子は洒落にならない。調べると、まあなんとかなりそうで、そこから歩いた。本来のルート上にあるバス停へたどり着き、美術館近くのバス停に着いた。美術館は砧公園の中にあり、ここから、公園を突っ切って歩いていかなければならない。とてつもなくデカい砧公園には友達同士で野球をしている人、凧揚げしている親子など、団らんを横目で見ながら、美術館へ急ぐ。
 僕は世田谷美術館が好きだ。いつもこのみんなが遊んでいる公園を突っ切るのが好きだし、ほかの美術館よりも家族連れのお客さんが多く、日常の延長上にある感じがいい。結局、到着がだいぶ遅れ15時過ぎてしまい、もしかしたら、またチケットを買い直さなければならない。受付で、ドキドキしながらスマホでバーコードリーダーの画像を出す。
「すみません、時間過ぎちゃったんですけど‥」
ピッ
「大丈夫ですよ。」
ほっと胸を撫で下ろす。
だが、僕たちの次の人が、
ピッ
「お客様すみません、こちら予約が昨日です」
「えーー!!」
上には上がいるものだ。
ようやく展示にたどり着いた。
ここまで来るのに1476文字使ってしまったくらいだ。

 はじめにまず言っておくと、最高に良かった。これから僕の感想は無粋以外の何者でもない。これを読むくらいなら、展示に行ったほうがいいし、Amazonで藤原新也の本を買った方がいい。そして、最近の美術館は作品の写真を撮っていいというところが増えた。SNSの時代だからだろう。しかし、とある作品で海外で路上パフォーマンスをしている写真があった。そのコメントで、道行く人が食い入るように見つめてて、しかも誰もスマホを使っていなかったとあった。自分の目でしっかりと記憶しているということだ。それを見ると、なんだかスマホは使いにくい。自己顕示欲があふれているのがバレているみたいだし、そして、僕のスマホのカシャ音がほかの人よりもバカみたいにデカい気もする。
まあ、結局撮ったんだけどもさ‥。
作品を紹介していく。
こちら、藤原新也の有名すぎる作品である。


人の生き死に。命の重さの作品が続く。

そして、写真もいいのだが、言葉もいい。大喜利でよく見る「写真で一言」なのだ。この言葉でグッと引き込まれていく。
ちなみにこの作品はどんな一言がくるのか、想像してほしい。


正解はこちら。


あの人がさかさまなのか、私がさかさまなのか

いいなあ。とおもう。


作家が世界中を旅した写真が並ぶ。文化の違うさまざまな人たち。圧倒的な自然や、日本の原発や3.11の写真など。生と死を考え、文化を超えていく。時間を超えていく。どんどん目の前の扉が開けられていくような感覚であった。ずっと狭いところにいるなあなんてことを考えてしまう。

 美術館を出る頃には、脳みそはクタクタである。外は真っ暗。毎日、体験しているはずなのに、もうこんなに暗いんだねという会話をする。あと何百回もやるやりとりなんだろう。そして、昼とは全く違う暗くて静かな公園を歩いていく。疲れた脳みそに寒すぎる風が当たるのはちょっと気持ちよく、非日常から日常へ戻っていくこの感覚は好きである。
バスは乗り間違えないようにして帰ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?