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噺家による【文楽のススメ】そのニ『心中天網島』
【文楽のススメ】その一では、文楽がいかに敷居が高いかを説明してきた。ここから、実際に作品に触れていきたいと思う。
先月観に行ったのが、この作品。
『心中天網島』
うん、読めないと思う。
『しんじゅうてんのあみじま』と呼ぶ。
こちらの作品は近松門左衛門の作品であるのだが、近松門左衛門という名前くらいは聞いたことはあるはずだ。日本のシェイクスピアと言われるほど、近松は様々な戯曲を作ってきた。先月、国立小劇場では近松名作集と題して3本とも近松作品で、文楽歴の浅い僕にとっては、チェックしたい作品ばかりであった。
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近松と言えば、心中イメージがある。いくつもの心中作品を描いているのだ。そして、『心中天網島』は実際にあった事件を脚色して作ったもので、当時の庶民からすれば、ノンフィクション作品とも言える。
ノンフィクション作品を言わば、人形劇という作りもので描くわけだ。虚構と現実が入れ乱れた、なんとも言えない面白さがある(と個人的に思ってます)。
ちなみに、近松が書いた心中モノの一番初めは、『曽根崎心中(そねさきしんじゅう)』で、心中ブームとなった。心中に憧れて、心中する男女が増えてしまい、心中禁止令というものも出たほどのブームだったらしい。
「おい近松、死んだら作品にしてくれよ!」
そんな男女もきっといたはずである。
では、この作品をあらすじを言おう。
ネタバレしたくない方はこれ以上は見ないでほしい。
この作品を一言で言えば、
男女が心中する。
これで説明がつく。これでいいのだ。というか、タイトルでネタバレしちゃってるのだ。
ところが、公演が終わった帰り道、素敵な着物を着飾ったマダムがこんな感想を言っていた。
「結局死ぬんかいって思っちゃった。」
すごい感想だ。こっちからすりゃ、いやタイトルみてきたんだろ!死ぬよそりゃ!と言いたい。
そう考えると、見た目はめちゃくちゃ文楽通という見た目だったが、初めての人だったのだろう。だが、文楽だけでなく、歌舞伎や落語もそうなのだが、現在映画やドラマで見るようなエンタメ作品とは異なるところが多い。
この作品は、死んで終わるのだ。
確かに初めての人からしたら、そこで終わるんかいと思うかもしれない。だが、そこがいいのだ。それが古典の魅力なのだ。
死ぬしかないところまで追い込まれた二人。ラストで男は女を刺し殺す。そして、男は首を吊る。そこで終わるのだ。
なんと潔いのだろう。普通であれば、二人が死んだ後、それでも二人は幸せだったんじゃなかろうかというシーンが流れるだの、身の回りの人たちが彼らが死んで悲しむシーンが流れる。
だが、そんなものはないのだ。
想像してほしい。
女は倒れ、男は赤い紐で首をくくる。この赤がとても舞台では映える。そして、人形が首をくくっているのだ。人間ではなく、人形の首吊り。そんなもの僕は見たことがない。なんとも言えないゾクゾクした感情になった。
歌舞伎もそうであるが、舞台芸術なのだ。このシーンを見せたい!このシーン美しくないですか?と観客に見せたいのだ。だから、それを見せれたら、もう終わっていいのだ。(僕が勝手に言ってるだけ)
人形が首くくりながら、木がチョンチョンチョンチョンと鳴り、定式幕が閉まっていく。
これがたまらん!!!
現代とは違うエンタメ性がある。だからこそ、今でもこの作品は残っている。そこにワクワクするのだ。
つづく
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