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パラパラめくる〈第6話〉

 いよいよ当日を迎えたわけだが、何を着ていこうと悩むほど服を持っていない。いつも職場に来ていくものと同じ、無地の襟付きシャツにズボンという出で立ちで出かけた。
 見慣れない沿線の見慣れない駅で待ち合わせをしていたため、早めに家を出ることにした。とくに乗り換えを間違えることなく、少し早めに駅に着いたのだが、すでに彼女は改札の外で待っていた。彼女はいつもとは違う華やかな花柄のワンピースで、青と白のコントラストが美しいものである。いつもと違った服装に関心してしまう。もし、また彼女とどこかへ出かけることがあったら、新しい服を買ってみようかな。
 改札をでて、今まで使ったことのない「ごめん、お待たせ」なんて言葉を彼女にかけ、私たちは歩き出した。
 彼女のお腹には赤ちゃんがいるのだから、何かあったらと思い、車道側を歩いたりなどできることはやったのだが、そんな私なんかよりも彼女はスタスタ歩いて行ってしまう。誰かと歩くのって大変だ。彼女の背中を追いながら街を歩けば、おしゃれな雑貨屋さんに、服屋さんに大きな商業施設、いろんなものがあって、歩くだけでクラクラしてくる。アクセサリーを見てみたいねと話し、その店に入ったり、マタニティ系の服を売っている店があるからと、その店によったり、普段私がまず行かないような店ばかりに入った。
 時間はいつの間にか昼過ぎになり、彼女おすすめの、昔ながらの雰囲気の良い洋食屋さんに入った。品はあるが、お高くとまるような偉そうな印象はなく、メニューをみると少し値段は高いが、思ったほどではない。入って1分ほどで、ここは正解だと思うようなお店だ。若い人だけではなく、家族連れも多い。なにを頼もう。
「ハンバーグ美味しそうだよ!」
「オムライスも美味しそう。」
「ほんとだね。どうしようかな。あ。」
「どうしたの?」
「単品でエビフライもつけられるんだ。」
「あ〜悩ましいね!」
「うん、悩ましい。」
 友達といると、メニューを選ぶだけでこんにも楽しいのか!私の気持ちはすでにお腹いっぱいである。
 興奮を抑えて、なんとか注文をする。さて、この待ち時間が問題である。歩いていれば、景色も変わり、話すことも自然と出てくるが、こうやってテーブルに座っていたら、景色も変わらない。お互いがお互いの顔をみながら話をしないのはおかしい。私が一番不安であった時間が始まった。
 彼女となにを話していいのか分からず困ってしまい、沈黙が流れて、食事がきてからもお互いにただ「おいしい」を連呼するだけの時間になってしまうのかと思ったのだが、彼女は結婚の準備に対する旦那の愚痴やら、赤ちゃんができてからの身体の変化など、話したいことが山のようにあったようだ。私はその一つ一つの話を新鮮に聴いていった。
 でも、彼女ばかりが話をして、それをうなづくだけというのは、友達としてはどうなのだろう。私もなにか話さなければ。
 私がいかに彼女のために行動することができるのか、私なりに伝えてみたらいいのではないか。友達ランキングもアップするかもしれない。本は読めないが、学校教育で無理くり読まされた作品をいくつか記憶している。その中で、友達について書かれている作品があった。
 それは、『走れメロス』。
 なんとなくではあるのだが、あらすじは覚えている。やれ、メロスが激怒しただの。やれ、メロスが走っただの。やれ、妹の結婚式があるから友人を人質にしただの。日が沈む前に帰らないと、友人が処刑されちゃうだの、やれ、妹の結婚式が終わり、なんとか日が沈む前に帰ってきただの、そんな内容だったと思う。
 私は、結婚式の準備が大変そうな彼女に、
「なんかあったら私に頼ってね。最悪、人質にでもなるから。」
「え、人質?」
彼女は、食べようとしていたカニクリームコロッケを一旦置いて、そう返してきた。
「そう。人質になってもいいよ。」
「え、なんで人質?」
 あれ?喜んでくれると思ったのにな。思ったような反応ではない。私は『走れメロス』について語った。
「だから木村さんのためなら、私人質になるから。その間に結婚式でも挙げて。結婚式には出席したいけど、それで二人が幸せになるなら、最悪諦める。」
彼女はケラケラ笑い出した。
「いや、大丈夫よ。今のところ人質を差し出さなきゃいけないほど、追い込まれていないし。やっぱり、渡辺さん面白いね。」
ごめん、ごめんと言って笑すぎだよねと、笑いをこらえるのに必死だ。さらに彼女は、
「走れメロスって、極端すぎ。ていうか、走れメロスに違和感覚える人って多いと思うよ。だって、自分のために友人を人質に差し出すって、違和感感じない?」
「え、そういうもんなの。今まで、友達関係の資料が少ないから、『走れメロス』で補っていたんだけど、違うんだね。」
彼女はたくさんたくさん、笑っていた。自分が人とは少し違うことは気づいていた。それは隠さなければいけないことだと思っていたけど、こうして彼女が笑ってくれると、隠さなくてもいいんだなと安堵する。
「人質じゃなくても、友人代表のスピーチとかもやれるから。」
「ほんと。だったらそっちの方が嬉しいよ。ありがとう。あ、でもごめんね。実はもう他の人にお願いしちゃったんだ。」
「‥‥。」
「お気持ちだけいただくね。あ〜面白かった。ご飯食べてる時にあんまり笑わせないで。」
 彼女はなんでもないように、衝撃的なことを口にしていた。そっか、友人代表は私じゃないのか。そりゃ、そうだよね。
 そのあとのことはあまり覚えていない。
 最近私はよく記憶をなくしている気がする。全てが初めてなのだから、傷つくことも初めてである。そりゃ分かっていたことではあるが、こっちが妄想しすぎていたことではあるのだが、どうしていいのか分からなくなった。
 彼女は妊娠中で無理はできないからということで、確かそのあとはすぐに帰ったんだと思う。私の方は、彼女と別れて、そのまま家に帰れば良かったのだが、この気持ちをどうにかしたい。自然と私は図書館へ向かっていた。まだ、時間的には夕方で、先生もいつもならまだいるはずである。木村さんがもうそろそろ作品の完成も近いよとも言っていたし、図書館で先生を見れば少し落ち着くかもしれない。
 図書館に着く頃、時間は六時を回っていた。まだ日は明るく、なんとも地味な夕日だったが、それでもきれいだった。図書館の中に入ると、「どうしたんですか?」となぜか職員に興奮しながら聞かれる。木村さんと話すようになったおかげで、他の人からも少なからず話しかけてくれる機会が増えた。だが、なんでそんな興奮しているのだろう。
「ちょっと野暮用でして。すみません。」
私が答えると、その答えがどうでもいいようで、興奮したままこう言ってきた。
「そんなことより大変です。捕まったの。落書きの犯人。」
「え?」
しまった。恐れていたことが起きてしまった。長編の完成間近であったはずなのに。私がその場にいれば、なんとかできたかもしれないのに、こんな時に休んでしまうだなんて何をやっているのだ私は。
「どういうことですか?」
彼女は興奮しながら、私に話してくれた。聞けば、「ジ-14」がパラパラ漫画を落書きしている瞬間を見つけて捕まえたそうだ。だが、おかしい。普段ならば「ジ-14」が2階へ上がることなどないのに、どういう風の吹き回しだろうか。それにしても、初めてパラパラ漫画を見つけたのもこのじじいだし、今回もそうだし、なんなんだこのじじいは。
 カウンターの前には、「ジ-14」が意気揚々と捕まえた時のことを大声で語っているのが聞こえてくる。
 見ているだけでイライラしてくる。ここは図書館だ。大声を出すなら外へ出ろ。そっちが、ルールを守らないのであれば、こっちだって守る必要などない。こっちが大声で「ジ-14」に文句を言ったってお前にクレームを言われる筋合いはない。
だが、「ジ-14」の方へ向かおうとすると、興奮した職員が先ほどの続きを話し始めた。
「今、裏で話を聞いてるところなの。こういうのって出禁はさすがに難しいだろうから、厳重注意ってことになるんと思うんだけど。でも、こんなのバレたら普通この図書館は利用できないよね。でも、やっぱりおかしい人だから、関係なく利用するのかな。でも、こういうのってきっと病気の一種でさ、やめられないんだよ。でも‥でも‥でも‥」
矢継ぎ早に彼女の話はなかなか終わらなかった。彼女の話と「ジ-14」の声が私の耳に届いてないまぜになる。今日は特に図書館がうるさい。こんな思いをするために図書館に来たんじゃない。
 このままだと、私の生きがいが消されてしまう。一体どうしたら良いのだろうか。彼女を救う手立てなど思いつくわけもなく、ただ立ちすくすだけだった。
 ガチャっと、カウンターの奥の扉が開く。
「申し訳ございませんでした。」
ギリギリこちらに聞こえるほどの細い声であった。職員たちはもちろん、なにかあったのかと嗅ぎつけた利用者の視線が集まる。その視線に全く気づかないほど、先生は憔悴しきっていた。なんだか、老けて見える。
「あんなに反省するくらいなら、あんなバカなことやらなきゃいいのに。あ、遠藤さんどうでした?」
 先生の話を聞いた男性職員が、同じように後から出てきた。男性職員が困ったよというような顔をしているが、職員たちの早く話を聞かせてくれという視線に、彼は心が踊っているように見える。
「いや〜まいったよ。仕事がうまくいかなくて、むしゃくしゃしたんだって。」
「え、そんな理由でやったんですか。あんな馬鹿みたいに時間のかかる落書きを。」
「なんか普段は漫画を書いているらしいよ。それが上手くいかなかったみたいなこと言ってた。なんかもっと、詳しいこと言ってたんだけど、ずっともごもごしてて何言ってんのかわかんないんだよね。」
「自分の漫画が上手くいかないから、あんな下手くそなパラパラ漫画書いたんですか?それもあの女が適当についた嘘なんじゃないですか。見るからに無職ですよあの女。」
 皆が小声で話してるのだが、不思議と一文字一文字が際立ってしっかりと耳に入ってくる。むしゃくしゃしていた?そんなはずはない。それだけで、あんなに時間をかけて描けるものなのか。もっと他に理由があるのではないか。
 肩を落とした先生は図書館から出ていく。どうしたらいいものか。その答えが出る前に私は彼女を追いかけた。
 建物の外へでると、先ほどよりも日が落ちて彼女がとぼとぼ歩いている姿がぎりぎり見えるほどであった。日が長いことに安心する。子どもたちも、将棋を指しているじいさん連中もいない。
 外は図書館以上に静かだった。 
 先生と話したい。だけど、先生にはなんと声をかければいいのだろう。私の大好きな作品を描いた先生が落ち込んでいる。せめて、私はあなたのパラパラ漫画に救われたと伝えたい。これまでならできなかったかもしれないが、誰かに話しかけることに前よりも抵抗がない。
「あの‥‥。」
彼女の足がぴたりと止まった。
「聞きたいことがあるんです。」
しばらく間をおき、私に責められると思ったのだろうか。振り返り、「申し訳ございません」と頭を下げて謝った。私が聞きたいのは謝罪の言葉ではない。あなたのことをもっと知りたいのだ。だが、どうしたらいいのだ。私が言葉につまっていると、彼女は下げていた頭を上げ、また歩き出そうとする。
「あなたのパラパラ漫画が好きでメモを挟んだのは私です!」
彼女がもう一度こちらを見る。この明るさでは、表情を読み取ることができない。私の今の気持ちを、もっと丁寧に伝えよう。
「私、図書館の職員として働いているんですが、あなたのパラパラ漫画が本当に好きで、それが最近の楽しみでした。それで、あのメモを本に挟んだんです。だから、ありがとうと返してくれて私は嬉しかったです。」
彼女は棒人間のように立ちすくんでいた。
「私、もしかしたら、あなたとなら共感できることがたくさんあるんじゃないかと思って。だから、あなたのことが知りたいんです。どうしてパラパラ漫画を描きはじめたんですか?」
友達は作ってみるもんである。はじめて話す先生に対してこれだけ話かけることができるのだから。
 彼女は、しばらく黙ったままだったが、いろいろと思いを巡らせているようだった。この沈黙は長く感じて、その間にも日が落ちて、さらに暗くなった気がする。
「あのメモはとても嬉しかったです。だけども少し情けなかった。」
「情けない?」
「私、漫画家なんです。いろいろ応募したり、SNSにあげたりするくらいの自称漫画家なんですけど。」
彼女は話してくれた。他の人からしたら、もごもご言って聞き取りづらいと言うかもしれないが、私にはちゃんと彼女の声が聞こえてくる。表情が見えにくいということも相まって話しやすかったのかもしれない。一度話し出すと、それに引っ張られるように、とめどなく先生の口から言葉が出てきた。
「一生懸命描いたんですけど、全く反応がなくて。つまらないとさえ言ってもらえないのが本当に悲しくて。友達もいないし、頼る人もいないし、なんのために描いてるのか虚しくなっちゃって。この図書館でいつも漫画を描いていたんですけど、本に無意識に落書きしちゃったんです。学生時代、授業中にバレないように教科書にパラパラ漫画を書いていたことを思い出したんです。その時、それを見せてみんなに褒められて嬉しかった。
それで、初めてこの図書館で落書きが見つかったとき、私実はそばにいて、心がぞわぞわしたんです。例え悪いことでも、誰かが反応してくれのが嬉しくて。それに、パラパラ漫画を描いていると、学生時代に戻ったみたいで心が落ち着くんです。
あなたが、パラパラ漫画を面白いと描いてくれて嬉しかった。でも同時に一生懸命描いた漫画じゃなくて、こんな落書きでしか私は褒められないのかと思うと情けなくなっちゃって。でも、心を落ち着かせるために、やめられなくて。」
 彼女はこちらに目を合わせようとせず、矢継ぎ早に喋った。彼女にとっては、やはりただの落書きであった。それを作品と思っていた私は、彼女に対して失礼だったのだろうか。溢れ出した言葉はそれでもきっとわずかで、まだまだいろんな思いが先生にはあるはずだ。だから、吐き出した言葉から、それ以上のいろいろと思いを想像する。
 なにも言わない私に対して、どうしていいのか分からず、先生は帰ろうとしている。分かってはいるが声をかけようとしても、言葉が見つからない。
 そのまま日が暮れて先生が見えなくなったのか、それとも先生が暗闇の中へ向かってすうっと消えていったのか、それは分からない。しばらく黙ったまま、その場に立っていた。
 彼女の言い分は、こちらが想像するような高尚な部分は一切なく、幼稚なものだと言われれば確かにそうかもしれない。私自身も彼女の素性を知り、少し冷めてしまった部分も否めない。
 それでも私だけは、そんな彼女を認めてあげようと思った。少なくとも私は彼女のパラパラ漫画のおかげで、日常が変化していろいろな初めてを体験している途中であるのだから。

 ぼんやり立ち尽くしている私の横を誰かが通り過ぎた。上機嫌に鼻歌を歌っている声で分かる。
 「ジ-14」である。
 噴水の近くを通った瞬間に、私は思いっきり「ジ-14」に突進した。鼻歌から急に「どわっ!」という声を上げて、噴水の中にどぼーんと落ちていった。
「誰だバカやろー!」
という声を背にして、私は走って逃げた。逃げる方向にすでに先生はいない。先生の最後のパラパラ漫画の作品を私を見れていない。明日見てみよう。きっと、誰も消さずに取っておいてあるはずだ。
 そこに、先生との関係性の私なりの答えがあるかもしれない。このまま終わりたくない。

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