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パラパラめくる〈第2話〉

 今ではコミュニケーション能力の低い私ではあるが、昔はそうではなかった。小さい頃は、ひょうきんで陽気な性格だったと母が言っていた。
 ところが、小学校に入学してから、徐々に私の性格は変わってしまったのだ。なにがいけないのか分からないが、いじめにあい、人とどんどん距離をとるのが当たり前になってしまったのだ。いじめと言っても、鼻の下にあるほくろで鼻くそというあだ名で呼ばれたり、福島で田舎だったため、虫を投げられたりと今思えばそれほどひどいものではなかったのだが、それが続くうちに、私は心を閉ざしていったのだと思う。
 私には3つ上の兄貴がいる。これが嘘みたいな兄で、
「妹をいじめる奴はおれが許さねえ。妹は俺が守るんだ。」
本以外の作品でみた妹思いの兄そのままだった。
 小学校の時はよく助けてくれて、ボソボソとしか喋れない私に近づき、その言葉をみんなに大声で伝えてくれたのだ。結果的に通訳というあだ名がつき、兄にも迷惑をかけてしまったが、いてくれて良かったなと思う回数の方が多かった。
 もしこれが今の時代だったら、通訳というあだ名の兄は、次第に水原一平というあだ名に変わり、さらに賭博野郎とか言うあだ名に変わっていたら、大変だろうなあという妄想をしては、たまにほくそ笑んでしまう。
 中学に入ってからも、せまい地域で同級生のほとんどが同じ中学に入るため、状況は特に変わらなかった。さらに。私の時代はなんだかしらないが不良が多く、荒れていたのだ。
 そんな状況で、友達をつくるスキルを持ち合わせているわけもなく、私が取った行動が本を読むことであった。もちろん、当時から本なんて文字がたくさん羅列しているものなんて読めやしなかったのだが、それしかなかったのだ。本を読むことで、あの子は友達が一人もいない寂しいやつではなく、本を読むのに忙しいやつになる。
 そんなわけで、教室の隅で本を読んでいるメガネをかけたあの子ができあがったのである。もちろん、読んでいるフリである。
 残念ながら、メガネを外せば実は美人だった!という逆転劇がおきるわけでもなく、「メガネはずすなブス!」と言われ、ヒエラルキーの最下層をきっきりキープする学生生活であった。
 読めもしない本を読みながら、教室の隅でじっとしているのはなかなか骨の折れる作業である。ずっと同じ本だと怪しまれるため、しばらくしたら新しい本に変えなければいけないし、ページをめくるスピードもある程度時間を置いてからめくるようにしていた。また、目の前で不良たちが大騒ぎをしているのを、まるで見えていないかのようにジッとしていなければならない。
 そこから抜け出すために私は図書委員になり、なるべく教室ではなく、図書館にいるようにした。はじめは、たまたま図書委員になっただけであったのだが、図書館ならば不良はやってこないし、コミュニケーションを取らなくても、なんら不思議ではない。
 それからの人生は、高校、そして上京してからの大学と、私には図書館がなくてはならない生活であった。図書館こそが私の居場所で、私語厳禁のルールがなければ私は生きていけない身体になっていた。
 だから非正規雇用であれ、図書館に就職できたのは私にとって、これほどホッとしたことはなかった。今までのように図書館にいることができて、しかもお金がもらえる。さらに、読みたくもない本を読んだフリをしなくてもすむのだ。だから、たとえ給料が低くても、非正規雇用の職員と公務員の司書との関係性がたまにギクシャクすることがあっても、私にとっては小さな悩みに過ぎないのだ。30半ばの今でもそれは同じである。

 自宅から図書館までも一時間かからないほどの距離でわりかし通いやすい。ただ、図書館は最寄駅からは若干遠く、住宅街を歩いて行くため夏場は少し憂鬱ではある。
 いつものように図書館の外から子どもたちの遊び声が聞こえてくる。今日は親子連れが多いようで、今女の子がサザエさんの本をとってパラパラめくっている。一階には児童書・漫画などの他には、話題になっている人気の小説を中心に新聞、雑誌、CDなどを置いてある。だいたいの人はこの図書館の一階で事足りるようになっているのだ。
 2階に上がれば、専門書を中心に置いてあり、自習席では、学生さんやら社会人の人たちが静かに勉強をしており、これぞ私語厳禁の図書館という空間になっている。だから、私は2階の静かな空間の方が落ち着く。
 1階は落ち着かない。1階の壁際には、長ソファーが多く設置してあり、誰もが本や雑誌を手に取り、気軽に読めるようになっている。だが、そのソファーのほとんどをじいさんたちが占領している。平日は特にじいさんが多い。みんながみんな、1人分の間隔を空けて座っており、その間隔を崩すものは滅多にいない。別に座ってもいいのだろうが、空気が読めないやつと思われるのが嫌なのだろう。
 さらに、毎日なんとなくやって来る常連のじいさん連中は、座る場所が決まっていて、そこに別の人に座られるとちょっと不機嫌になっているのだ。
「お前の特等席じゃねえからな。」
私は観察をしながら、いつもそう思っている。だんだんと私は、そのじいさん連中の顔を覚えてしまい、本の背表紙に番号がふっているように、私はじいさん連中に番号をつけていた。だからもし、
「すみません。いつもポロシャツ姿で、スマホが鳴ったら、図書館であろうがそのまま電話に出ちゃうじいさんを探してるんですけど。」
と言われれば、
「ジ-4ですね。こちらですよ。」
と案内してあげるのだが、じいさんの生態について調べたいという人は、いまだ現れていない。近所の公園にいる野鳥を調べたいとか、そんなものである。

 「というか先ほどから、おじいさま達に冷たくありませんか?」

と、全国のおじいちゃん子達に文句を言われそうだが、それなりに理由がある。
 図書館というものは、誰もが無料で利用することができ、本は税金によって購入したものだ。そして、図書館の職員は全員が公務員だと思われているようで、「こっちが金を払っているからお前たちがこんなふうに楽に仕事ができるんだ」と思っている連中が一定数いるのだ。       
 その一定数いる中の一定数の暇なじいさん連中がいて、そのじいさんがやたらとクレームをつけてくる。「ジ-14」なんかは特にひどく、クレームをつけるのが生きがいなんだと思う。女ということも理由としてあるのかもしれない。
 図書館の職員はこのクレーム処理が一番のストレスだと言う人も多く、私だってその気持ちは分かる。そのため、一括りにじいさん連中と心の中で言ってしまっているのだ。
 他にも意外と面倒なことはたくさんあり、本の破損や落書きなども、職員でなんとかしなければならない。ページが破れていたり、古い本でページがバラバラになってしまったものを、私たちが手作業で直していく。税金で買った本が少し破損したくらいでは破棄できないのだ。
 落書きは特に面倒である。二通りあり、一つは子どもが書いてしまったもの。その時は、「あらあら、しょうがないわね」と、にんまりすることができるのだが、許せないのがもう一つの方。
 大事なところを、蛍光ペンで線をひいてしまっているのだ。勉強に集中し、ここは大事だと思ってつい引いてしまったのだろう。
「いや、お前の本じゃねえから。」
そう思いながら作業する。これが鉛筆ですぐに消せればいいのだが、そうでなければ、この本に落書きがあるという注意書きの用紙を作り、本に貼っておかなければならない。
 それらの作業時間というのは、思いの外かかり、「これは誰のなんのためにやっているのだろう」というメンタルにダメージを与える時間となっている。そういうことから図書館で働く職員たちは、人一倍落書きというものに嫌悪感を抱くようになっている。
 これらのストレスは、私の人生にとっては些細なことではあるのだが、そりゃ辛い時だってたまにはある。

「おい、俺の話を聞いてのか!」

 そうだ。「ジ-14」のクレームを受けていたのだ。いつものことすぎて、なにも聞かずに考え事をしてしまった。なにを言ってるか分からないが、とりあえず謝っておこう。
「申し訳ございません。」
「謝ればいいってもんじゃないんだよ。ちゃんとチェックしとけ。見ろこれを!」
「ジ-14」がカウンターに本を出してきた。もちろんその本のタイトルを見たって、私にはなんだか分からない。
「ぼうっとしてないで、見ろって言ってんだよ。落書きがあったんだよ!ほら!」
「そんなの知らねえよ。そりゃ、落書きくらいあるよ。」という言葉をぐっと堪える。子どもの可愛い落書きか、蛍光ペンで線が引いてあるのか、きっとどちらかだろう。
 ぼうっとしている私に苛立ちながら、「ジ-14」が本を持ち、私に見えるように、右手の親指でパラパラパラパラとページをめくっていく。はじめは、「ジ-14」の親指を見て、汚い爪してんなと思っていたが、本に視線を落とす。すると、開いた本の左下に棒人間が出てきた。顔はただの丸だけで、目や口もなにもない。その丸い顔から、線だけで手と足を描いている。棒人間の落書きかと思ったら、パラパラとめくるBGMと共に、その棒人間が走りだした。ページの番号、小説の文章に若干かぶりながら、走っている。一生懸命走りながら、途中大きな石が出てきて、それを飛び越え、橋が出てきて、棒人間はそれを渡り、そのまま走ったまま本は終わった。
 まさかのパラパラ漫画の落書きであった。
「こんな落書きを見落として。ちゃんと仕事をしてるのか。給料もらってるんだから、ちゃんと働け!」
「申し訳ございません」
そのあとも、冷房が強すぎるやら、最近たるんでいるからもっと飯を食え、男がいないせいだと、いろんなクレームをつけて、その場から去って行った。「ジ-14」が見えなくなったのを確認して、下げていた頭を上げた。
 しばらくは、なんとも言えない気まずい雰囲気がカウンター内に流れた。するとその後、いつもなら話しかけてこない職員たちが、「大変だったね」とか「気にすることないよ」、「というか、パラパラ漫画書くなんてバカなやついるよね」と、さまざまなご意見を頂戴した。よほど、私のことが不憫に思ったのだろう。
 あれだけ言われれば確かに普通の人は落ち込むだろうなあと思うのだが、私の思いは違っていた。
 心が踊ったのだ。
 ジ-14にではない。そのパラパラ漫画にである。何度も何度も、パラパラとめくるのだが、その棒人間が走り出したのを見ると、笑みが溢れ落ちてしまう。
 落書きでパラパラ漫画て。落書きで、どんだけ時間かけてんだよ。
 なぜだろう。私はこのパラパラ漫画の作者となんだか繋がれるような気がしたのだ。

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