日記:十二国記を厄介払いする話

もうだいぶ前のこと、鬱病により大学を中退し、いよいよ故郷へ帰るための引越しを始めるという時に、チャージした金額だけ大学で使えるカードの残高を出来るだけ使い切ろうと考えて、キャンパス内の本やら文具やら買える店で大量に本を購入した。 その時は到底読書が出来る状態ではなかったが、回復した際に読んで教養の足しにしたいと思っていた。

その中には銀河鉄道の夜とかアンドロイドは電気羊の夢を見るか?とかあったが、ほとんどが小野不由美さんの十二国記シリーズだった。健康な頃からすごい小説だと話は聞いていて、文章を書く人間たるもの触れておかねばとかねてから思っていたシリーズだった。

しかし、購入から何年もの時が経った今、私はほとんど読まないままその十二国記シリーズを引き取ってもらうことを決めた。本棚の十二国記の存在が、長いこと精神の重荷になっていたからである。

鬱病は一応、日常生活を何とか送れるぐらいにはよくなった。職歴とか自尊心とか色々犠牲に、それでも死なずには済んだ。所謂ニートだが、メディアやSNSが口々に訴える惨状を思えば比較的能天気に暮らすことが出来ている。だが、大病の病み上がりよろしく免疫力が未だ戻らない。身体ではなく精神の方の。

不幸や苦しみや悲しみや怒りや理不尽不条理――――現実のそれはおろか、フィクションのそういった負のものすら、少し思い浮かべただけで胸が悪くなってしまうほど耐性がなくなってしまい、今日まで戻っていないのだ。

その虚弱さたるや、他のオタクの人がよく使っている『しんどい』『闇』という表現を目にしただけで縮こまってしまう有様。Twitterのタイムラインでペルソナ5やファイアーエムブレム風花雪月が流行った時は拷問を食らっているようだった。誰が悪いわけでもなく、もやもやをどこにも吐き出せないのが辛かった。

もう察しのいい方はお分かりかもしれないが、そんな私がたまたま目にしてしまったのだ、『十二国記はしんどい』という感想を。

最初からずっとしんどい展開が続く、というその感想は、そうめんより細い心を折ってしまうには十分だった。私はずっと勇気の出ぬまま自室の本棚に数年シリーズを死蔵し、そのまま忘れてしまえばまだよかったのだが、自分で自分を追い詰めた。

ずーっと、『買ったからには読まねばならない』『文章を書く身として優れた文章に触れなければならない』と思い続け、その度に憂鬱と自己嫌悪に頭を突っ込んでいた。

前に書いた文章に頂いたコメントの中で、「今の日本の最大の不幸は『ねばならない』思考で、本来生きているだけで百点満点なのにみんなが思い込んで押し付けあっている」という意見があり、それにとても救って頂いた。にも関わらず、私はその後も『ねばならない』思考を捨てられずに十二国記で自傷行為を繰り返していた。

しかしそれにもいよいよ耐えられなくなった。いつか『しんどい』話に耐えうるようになった時にまた入手して読もう。とうとう、私は十二国記とポジティブな折り合いをつけることを諦めて、厄介払いすることに決めた。

トートバッグに全部詰めて、今日は雨だしもう遅いので明日持っていこう。ごめんよ十二国記。今の私には君は『厄介』にしか見えない。果たして厄介でなくなる日は来るのかしら。来てくれたらいいんだけれど。

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