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Curious〜前編〜

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無心になること。

その頃の私は、無心で機械と向き合うことしか自分を保つことができなかった。
「1日を何かに没頭して消費する」
それだけが私のとても大事な日課だった。

今日も朝から晩まで設定6のスロットを回す。  頭で考えていることは、どこかの誰かが作り出した確率の数字と、閉店までに何ゲーム回すことができるか、それだけ。

その日もすでに打っている台は設定6が確定し、頭上にはカチカチに盛られたメダルがドル箱の中にきれいに整列していた。
煙草に火をつけながら、缶コーヒーに口をつける。
その瞬間なぜか、ずっと忘れていたような昔のことを思い出していた。


私、アキ子は大学入学を機に、遠い地から上京した。小さな頃から家族に沢山の愛情を注がれ(お節介なくらい)、自由気ままに育った。
両親はいつも、「自分の周りにいる人間を、自分以上に大事にしなさい」と口煩く言っていた。父も母もそれを常日頃から実行しており、色んな人から慕われていた。

家族に守られながら、真面目に純粋に育てられた私でも、いつしか雑誌やテレビで見る「東京」という街に強い憧れを抱く様になる。
東京に早く出たくて、高校時代は脇目もふらずに勉強した。
憧れていた東京。大学の合格通知は本当に嬉しかった。両親は少しだけ寂しそうだった。

しかし実際に大都会で暮らし始めると、異常なまでにも人が多く、それに反して大きな孤独を感じる場所だった。
自分が今まで育ってきた街が、どれだけ温かくて自分を守ってくれていたかを痛感した。

友達もいない、趣味もない、これからの大学生活をどう過ごして行こうかと悩んでいたところ、同郷の先輩(たまたま同じ大学に入学していた)からサークルに入らないかと誘われた。
誘われるがままにサークルの飲み会へ出席し、その日のうちにあれよあれよという間に入部することになっていた。

サークルに入ってからは、気の合う女友達も出来て以前より孤独感は少なくなった。
「これが大学生活、夢のキャンパスライフなんだ。」
私は自分を取り囲む世界に納得しようとしていた。

私は入学当初、大学の女子寮に入っていて、その女子寮は駅から数十分もかかる辺鄙な場所にあった。

飲み会で夜が遅くなると、決まっていつもある男の子が送ってくれていた。その男の子、良介は同じサークルの同じ新入学生。
色黒で顔立ちはお世辞にもイケメンとは言えない。
それに加えて、あまり見た目に気を使わないタイプのようで、最初に話したときなんて思いっきり鼻毛が出ていた。
私の中では完全に「鼻毛の人」という印象でインプットされていた。

良介は毎朝連絡をくれて、大学の学食で2人でランチをしたり、飲み会の帰りは終電で私の住んでいる駅まで一緒に帰り、彼の始発が出るまで女子寮の近くの公園のベンチで話すことが日課になった。

今思えば上京してからの数ヶ月間、彼との日々が無ければ弱虫の田舎娘は、大都会から尻尾を巻いて故郷に帰っていたことだろう。

私の中で、彼の印象がだんだん「優しい人」そして「気になる人」に変化するのにそう時間はかからなかった。

付かず離れずの健全な友達の時間が数ヶ月続いた頃だっただろうか。この日も良介は飲み会帰りに、私を家まで送ってくれていた。
しかしその日は、お喋りな良介が電車の中でも駅から私の寮への道のりもずっと黙っていた。

--良介、今日様子が変だな。何かあったのかな。

なんとなく気まずい空気の中、良介の顔色を伺いながら同じ歩幅で歩く。

女子寮に着き、ばいばいと手を挙げようとした時、いきなり良介が私の腕を掴んだ。
良介の顔を覗き込むと、泣く前みたいな真っ赤な顔をしていた。
何事かと思い、じっと彼を見つめる…。
良介の真っ直ぐな瞳が、一瞬で私を捉えた。

「アキ子、あのさ、俺と一緒に…死ぬまで一緒にいてくれない?」

その言葉を聞いた瞬間、あまりのことに呆気にとられた。
それなのに、なぜか涙が止まらなかった。
理由はわかっていた。
いつの間にか私は良介にどうしようもないくらい心を奪われていたからだ。
友達としての関係を壊したくなくて、彼への気持ちを押し殺していることに、大分前から気付いていた。

「別に、いいけど…。」

心とは裏腹に、少し素っ気なく声を振り絞る。

「アキ子はさ、そういうやつだよな。」

良介が目を細めて微笑む。優しくサラサラと髪を撫でてくれた。
良介の優しい笑顔を見つめて立ちすくんでいると、すっぽりと抱きすくめられた。
そしてどちらからともなく初めてのキスをした。
その後、私たちは道端で抱き合ったまま当分動くことができなかった。


私は親の反対を押し切り女子寮を出て、良介と2人で住む部屋を探し、すぐに2人で暮らし始めた。
いつも一緒にいるのに、小さな喧嘩すら本当にしなかった。毎日一緒にご飯を食べて一緒にお風呂に入って、愛し合って、手を繋いで眠った。
朝起きた時も、繋いだ手が解けていないことがとても嬉しくて二人で笑い合った。

一緒に寝ている時、良介は時々私に言った。 「俺が死んだら、一緒に死んでくれる?」  
今思えば狂気にも満ちたその質問に、私は良介のほっぺを摘んで「もちろん。」といつも答えていた。

--この人と歩んで、この人のために生きよう。
心の底からそう思っていた。

当時の私はサロンモデルをしており、毎日のように雑誌の撮影をこなしていた。
サロンモデルの撮影は、美容院が開店する前の時間に行われるためとても早い。
大学が休みの日なんて、早朝から夕方遅くまで何店舗も美容院を回って雑誌の撮影をしていた。

良介は、本屋さんに並んだ雑誌の中から私を見つけては「俺の彼女は、世界一!」と写真を撮ってメールを送ってくれた。本当に幸せだった。

そんな幸せな生活が三年半続いた頃、その休日も私はお昼から夜まで撮影で、表参道にいた。
しかし美容院でメイクをしてもらっている時、突然目眩が襲ってきた。暗転して前が見えない。
担当の美容師さんも私の異変に気づき「今日の撮影は代役探すから、帰って休んで。」と気遣ってくれた。
仕事に穴を空けるのは私の性格上嫌だったが、パフォーマンスが悪くなるとますますお店に迷惑をかけるので、その言葉に甘えて家に帰ることにした。

--風邪っぽくもないのに、どうしたんだろう…。

バイトの夜勤明けで寝ているであろう良介には連絡をせず、そのまま家に帰った。     
マンションに着いて鍵を開けると、玄関に私のものではない女性の靴が並んでいた。

--??

不思議に思いながらそのまま部屋に入ると、ベッドの上にサークルの友達のみなみが座っていた。
みなみは、私を見るなり目を丸くして、「どうしたの?」と上ずった声で聞いてきた。

「撮影中に具合が悪くなっちゃって帰ってきたんだけど…、え、みなみこそどうしたの?遊びにきたの?」

私の言葉が終わるか終わらないかくらいの時に、玄関のドアが開く音がした。
良介だった。

今でもこのシーンを思い出して思う、私はこの瞬間これから起こることを想定すらできなかった。
「あの頃の自分の心は、もう2度と取り戻すことができない。」
そう確信できるほどに、私は純粋だった。

良介は私を見て、みなみと同じように目を丸くした。そして何か買ってきたであろうコンビニの袋を背中にさっと隠した。

なぜか、私はその袋がとてつもなく気になった。良介が私に何かを隠すなんて今までなかったことだ。
近づいて、コンビニの袋の中身を呑気に確認する。ポテトチップスとジンジャエール、そしてコンドームの箱が入っていた。一瞬なにが起きたのか分からなかったが、良介が深く項垂れたのを見て、初めてすべてに気が付いた。

足から力が抜け、私はその場にへなっと座り込んで、立ちあがることすらできなかった。

ほどなくして、みなみが家を出て行く音がしたけれど、私はそれを目で追うこともなくフローリングの縫い目をただ眺めていた。
良介はみなみを追いかけることも、私を宥めることもせずそばにじっと立っていた。

30分ほど経っただろうか。ゆっくりと良介が話し始めた。

みなみとは私と出会うより前から知り合いで、ずっと体の関係があったということ。
私と付き合い出したので、この関係を清算しようとみなみに伝えると「死んでやる」「アキ子に私たちの関係を全部バラす」と半ば脅されていたこと。
彼女に対して長年の情があって切るに切れなかったこと。
煌びやかな世界に囲まれた私と一緒にいると、時々自分が嫌になり不安になる。そんな時にどこにでもいそうな、みなみを抱くと安心したということ。

それでも本当に私のことを誰よりも愛しているということ。

嘘に聞こえた。
良介の言葉は耳には届いても、心の奥底に届くことはなかった。

こんな時普通の女の子なら、そんな彼氏とはさっさと別れて新しい恋愛をするものだろう。
しかし当時の私は、良介と結婚することを信じて疑っていなかった。いきなり突きつけられた現実に対応する力も持ち合わせていなかった。

ただ、「目の前にいる最愛の人は、三年半私以外の女も抱いていた。」

その事実だけが転がっていた。

すぐに別れを決断できなかった私には、地獄のような日々が待っていた。

毎日、良介の顔を見るたび涙が止まらない。罵倒して泣き喚いて怒鳴り散らした。
知ってしまった事実はもう覆せない。信じていた頃にも戻れない。
それなのに「どうしてどうして」と、子供のように縋り付いて泣いた。

サークルもやめた。就活もやめた。
2人で撮った写真も、良介からもらった沢山の手紙も全部破いてキッチンで燃やした。
どれだけ感情を表に出して吐き出しても、それでも気持ちは晴れてくれなかった。

2人の思い出がいっぱいの部屋も、その空間にいるだけで吐き気がこみ上げるほど辛い場所になった。

今まで喧嘩したことがなかったのが嘘みたいで、口から出るのは汚い言葉ばかり。
私の心の中にこんなにも黒いものが溜まっているのかと自分でも驚いていた。

その関係は数ヶ月続き、当たり前のことではあるが、良介もだんだん疲れた顔を見せる様になっていた。
良介はサークルに所属し続けていたため、サークルの飲み会で酔っ払って帰ってくることも多々あった。

--本当は、またみなみといたのかな。

その度にそんな気持ちが心を占めていく。
帰ってきた良介に、いつもようにじりじりと近づき問い詰めた。

「また、みなみといたの?また、裏切るの?私のことなんて好きじゃないじゃん。嘘つき!嘘つき!」

半狂乱になって喚き散らしていた。
その瞬間、いきなり私の頬に強い衝撃が走った。

良介にぶたれたのだ。

良介は、面食らった私をそのままベッドに押し倒し、馬乗りになり何度もぶった。
自分の目の縁が切れ、血が飛び散ったのが分かった。
なぜか頭が冷静だった私は、久しぶりに正面から良介の顔を見た。スローモーションで降ってくる拳と、涙の粒の隙間から見えたその顔は、4年近く一緒にいて初めて見る悲しい顔だった。

私は無意識にそっと良介に腕を伸ばし抱きしめていた。
良介の口から「ごめん」という言葉とともに嗚咽が漏れた。
2人でしがみつく様に抱き合って大声で泣いた。

30分くらいそうしていただろうか。
2人の呼吸が落ち着いた頃、彼の耳元で私は言った。

「良介、別れよう。」

4年という長い時間で初めて口にした言葉だった。
まだ風が冷たい春に、私たちの関係は終わった。


それからというもの、私は自分を大事にするということを忘れてしまった。
気付けば、毎日のように違う男性と夜を共にしていた。
お酒を大量に飲まされて、気付くと寝ている私の周りに男が7人くらい群がっていることもあった。

体はいつもカラカラに乾いていたので、いつもローションを塗り込んでいた。

挿れてしまえば、女性の身体は感じていなくても興奮していなくても濡れてしまう。レイプされた時に中が傷つかないようにと、身体に自己防衛機能が組み込まれているからだ。

目の前の馬鹿な男たちはみんなその嘘にすら気付かず、「興奮してるの?」などと私の耳元でささやいた。

「馬鹿が。死んでしまえよ。」

無心で腰を振る相手に、いつもそう思っていた。
いつの間にか感じているフリも、演じていることを自分で忘れるほど板についていた。

そして最終的に相手が私を好きになった頃に、冷めた台詞を突きつけて捨てる。

どこかでその男たちに良介を重ね、ぼろぼろに傷付けたい気持ちが止まらなかった。
自分の傷付いた心を癒すために、男たちを騙して捨てるのが唯一の生きがいだったのだ。

--もう忘れたい、何もかも。

底辺の生活を数ヶ月続け、私はその日の夜もクラブで知り合った男とホテルにいた。
"さて今から"、という時に突然私の携帯が鳴った。
番号だけの表示だったが、忘れもしない、良介の番号だった。
私はすぐに電話に出た。

「もしもし、久しぶり。」

極めて明るく電話に出たつもりだったが、声は震えていたと思う。

良介は低い声で一言

「会いたい。」

と言った。

久しぶりに聞く声に、左目からも右目からも涙がこぼれた。それと同時に激しい怒りがこみ上げてきた。
私は電話口でこう言った。

「私、今からセックスするところなの。毎日いろんな男とヤレてさ、あんたなんかと別れてよかったって思ってるよー。もう2度と電話してこないでー。」

その言葉を言い終わるか否か、むこうから電話が切れた。

「誰から電話?早くこっちおいでよ。」
電話を切った私の前には、名前も知らないニヤケ面の男が手招きをしていた。
私は涙を拭きながら、その男を無視してホテルを出た。

--こんな体で、どうやって会いにいくんだよ。もう私は、昔の私じゃない。

夜の渋谷の街を歩きながら、私はむせび泣いた。


良介から電話があった数日後のこと。
その日はとても蒸し暑く、気温とは裏腹にツクツクボウシが秋の訪れを歌っていた。
私の携帯に良介の母親から一通のメールが届いた。

「良介が亡くなりました」

良介は地元に戻り、朝方の公園でブランコに紐をくくりつけ首を吊っていたらしい。

私はそのメールをずっと眺めていた気がする。いつまでもずっと。
心が砕ける音が、自分の体から聞こえる。
ぱらぱら、ぱらぱら、と。
一度きりの人生がぐにゃりと湾曲し、暗くて深い闇の中へ吸い込まれていった。

良介が亡くなったことを知った日の晩、私はコンビニから大きめの段ボールを拾ってきた。それからはその中で毎日眠るようになった。(なぜそのようなことをしていたのかは、今でもわからない。)

夢の中にはいつも良介が出てきた。
いつも同じ夢、同じシーン。

女子寮の前で良介が私の腕を掴む。
「あのさ、俺と一緒に…死ぬまで…」
なぜか夢はいつもそこで終わった。

目が覚めると、眼下の段ボールがふやける程泣いていた。目が覚めてまた現実に戻って大声で泣いた。毎日泣くものだから、私の目の周りは赤くただれて腫れ上がっていた。

「俺が死んだら一緒に死んでくれる?」

今思えば、良介は夜ごと消化できない不安を私に吐き出していたのかもしれない。
その言葉を言われた時、私は躊躇せず首を縦に振ったのに、その孤独にすら気付くことができなかった。
それどころか、最後の最後にとどめを刺すような一言を言い放ってしまった。
深い後悔と共に、永遠に会えない場所に逃げこんでしまった良介をいつまでも探していた。

睡眠薬を飲んでも吐き出してしまう、怖くてマンションから飛び降りることも出来ない、手首も切れない、空腹が我慢できない。

カーテンの隙間から見えるベランダでは、一羽のカラスがそんな私を小馬鹿にしたように鳴いている。

「愛が薄かったのは私の方かもしれない」
正しいとも間違っているとも言えないことを、小さな段ボールの中でずっと考えていた。


そんな生活を数ヶ月続け、私はまだ死に切れずにいたのだが、ある日仲の良かった麻雀仲間の一樹という男の子から鬼電がかかってきた。
良介と別れた後は、悪い男の誘いで麻雀を打つ機会が多かった。その時に知り合ったのが一樹だった。

最初は着信を無視し続けていたが、何度も何度も電話は鳴る。
あまりにもしつこいので電話に出ることにした。

「…もしもし。」
久しぶりに誰かの声を聞いた気がした。
一樹は色んな遊びを知っていた。私に好意があったのは知っていたが、煩わしい誘いもなく性格も明るく面白かったのでよく遊んでいた。

待ち合わせは駅前の交差点。
カフェにでも行って話を聞いてくれるのかと思ったが、私が連れて行かれたのは寂れたパチンコ屋だった。

一樹はスロットがうまく、その頃それで生計を立てていた。
パチンコやスロットのギャンブルがこの世にあるという事実はもちろん知っていたが、「継続して勝っている人」がいるということは知らなかった。

生きているうちにこんな汚い場所に足を運ぶなんて、以前の私からすれば信じられなかったが、今の自分にはちょっとお似合いな場所な気がしていた。

「ちょっとこれ、打っておいて」

そう一樹に言われるがまま、ある台の前に着席する。パネルに描かれているピエロは口が裂けてバカみたいに笑っていた。
一通り打ち方を教えてもらい、言われた通りにメダルを入れてレバーを叩く。

数ゲーム回した時…物凄い音と一緒に左下のランプが紫色に光った。

「…何が起きた?」

この時のことを今でも鮮明に覚えている。
私の神経の何かがそれに反応した。
久しぶりに身体が目の前のものに反応したため、私は涙が出そうになり動揺を隠せなかった。
何度か失敗しながらもボーナスを揃える。
賑やかな音楽と共にメダルが出てきた。
不思議な感覚だった。

その後、私の台は驚くぐらい左下のランプが点灯した。下皿からメダルが溢れた。
横の人に上に置いてある箱を使うんだよと教えてもらい、メダルを詰めていく。        お店が閉店する頃には、私の頭上にはメダルでいっぱいになったドル箱が五箱も置かれていた。

一樹に連れられて、換金所とやらへ向かう。
換金所の下受け皿に景品を入れる。
無愛想なおじさんがその景品を機械に通して数えると、右の方のパネルに数字が表示された。
表示された数字を見て、千円にしかならないのかと思っていたらゼロが2つ多かった。
一樹はそのお金を全部私にくれた。

「え、10万円?今ので…?」

もう、驚きしかなかった。

その後行ったご飯屋さんで、スロットには設定というものがあること、私が今日打ったのは1番上の設定だったということ、1番上の設定が打てれば大体勝てるということ、しかもうまく立ち回れば誰でも勝てるということ、そんなスロットにまつわる色んなことを教えてもらった。

「お前は頭もいいんだし、人生ダメにするくらいならこんな底辺な生活でも頂点狙ってみろよ。難しいけど、数字だけ考えてればいいし他の余計なことは考えなくてすむ。お金にもなる。自分のレベルを上げて、自分のことだけ信じてりゃいいんだよ。今のお前には合ってそうだし、やってみたら?」

一樹にそう言われて、私は自然と頷いた。   「余計なことは考えない、自分だけを信じる」その言葉が私の胸に響いた。

次の日から毎日のように、一樹に連れられてホールに出向いた。
一樹の教え方や台の選び方が良かったのか、当時は何を打っても負ける日なんてほぼなかったと記憶している。
毎日毎日ホールに通う日々が続き、私はいつの間にか自他共に認めるスロプーになっていた。

私がよく行っていたホールには有名な軍団がいた。最初は気にも止めていなかったが、明らかに毎日勝っているので嫌でも目についた。

当時、私はほぼ毎日アイムジャグラーの設定6をツモっていた。
アイムジャグラーはそのスペックの低さから、軍団が朝から狙うような機種ではなかったので、私からすれば逆に狙い目だった。
私があまりにも毎日アイムジャグラーをツモっているので、軍団の人たちに時々話しかけられるようになった。そして、きっかけは覚えていないが「仲間に入らないか」と誘ってもらった。

私は、その地区で有名な軍団に仲間入りできることが嬉しく、スロットで高みを目指したいと思って参加させてもらった。

その先輩方は4号機から設定狙いをしていた人たちばかりで、目押しもさることながら立ち回りが本当にうまかった。
まさに"眼から鱗"、勉強になることばかりだった。
先輩たちとノリ打ちをするようになってから、私はますますこの世界にのめり込むことになる。

幸い、軍団の先輩たちはみんな頭も性格も良く、女性の扱いもうまかった。本当に小さなことまで気にかけてくれた。
かと言って(当たり前ではあるが)、体を求められたりすることも一度もなかった。
1人の人間として私を尊重し、信じてくれた。

--何も考えたくない、信じたくない。
そう思っていた私が、先輩方と日々過ごすことで少しずつ「人を信じること」をもう一度思い出させてもらった。

何にも心が動かず興味が湧かなかった私にとって、毎日スロットのてっぺん(設定6)を打ちつづけ、信頼できる仲間と勝ち続けることが、生きる希望になった。

毎日夜中から並んで設定狙いをする毎日、空き時間や寝る前には必ず解析の勉強。昔の悲しい思い出に浸る暇なんてない。

大学時代に色んなことを諦めた私には、それら全てが少し遅れてきた青春のようでもあった。

真冬の真夜中、店の前に並んでいる最中にみんなで食べたコンビニのおでん。
夏、開店したドアから流れ出るお店の冷気、BGMのポニーテールとシュシュ。
ガックンチェックでフリーズしてしまう、北斗の拳救世主。
負けた日やあまり勝てなかった日に、必ず全員で行くまずいラーメン屋。
必ずお店を予約してお祝いした、メンバー全員の誕生日。

なんだかんだ笑うことも増え、体は辛かったけれど、以前の日々に比べると精神的には安定していた。
この世界に狂ったようにのめり込むことで、頭が整理されていったのかもしれない。

良介の夢を見ることはだんだん減った。
良介の顔も感触も声も、話したことでさえ、だんだん思い出せなくなっていた。
ああ、そういえば人間は他の動物と違って「忘れる」という機能を備えてるんだったと、ふと思った。

人間は、自分ではもう立ち直ることができないほど底辺まで落ちたと思っていても、いつの間にか周りの力で上に上に押し上げられる。

私にとっては、それがスロットだった。
あの日スロットに出会わなければ、大企業に勤めて幸せな結婚をして子供もいたかもしれない。でも、そこにたどり着くことは叶わず自ら命を切り落としていた可能性も大いにある。

あれから年月が過ぎ、先輩方はみんな起業したり実家を継いだり散り散りになった。
兎角言う私も、会社で勤め始め、スロットは兼業という形をとるようになった。

私の青春は終わったけれど、人をまた信じさせてくれた仲間という財産はこれからも続いていくのだと思う。


良介と別れてから、もうすぐ7回目の春が訪れる。

毎年私のいる地区は、田舎から出てきた若者で騒然となる。
この中にはこれから日本を変えていくような逸材になる人、平凡な人生を送り幸せを掴む人、はたまた波乱万丈な人生を送る人、色んな人がいるだろう。

人生は長くて深い。
でもきっとそれを終える頃には、長くて深いと感じていた頃の記憶も忘れてしまい、短くて浅かったと感じるのだろう。

今日もホールに向かう電車の中で、初々しい学生の恋人を見かける。
楽しくて幸せで、人生が希望に満ちている。
顔を見合わせて笑い合う。

7年前の私たちがそこにいた。

君たちにいつか終わりが来ても、どうかどうか、ありきたりな終わりを。
そう願いながら、私は目を伏せた。

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※この話はノンフィクションです。



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