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ピクミンが好きという話

シリーズ最新作、『ピクミン4』が発売されて三ヶ月が経ちました。発売当初、私はゼルダの『ティアキン』を何かに取り憑かれたかのようにずっと遊んでました。なのでピクミン4を初めてプレイしたのは今から一ヶ月ほど前なのですが、とても面白いです。
最近、ピクミンはアプリにグッズに新作に、とっても賑やかで嬉しく思います。

このnoteでは、
① シリーズの概要
② 私がなぜピクミンを好きなのか
③ このゲームに私が何を感じているのか
(主観丸出しです)

という事を、ひたすら書いていきます。
最後に簡単なまとめも書きます。

まずは、詳しく知らないよという方のために、ざっくりとした概要から。

シリーズの概要

ピクミンは、任天堂から発売されているアクションゲームシリーズです。第一作目『ピクミン』は、ゲームキューブのロンチタイトルとして2001年に発売されました。未知の惑星にやってきた主人公が、そこで出会う不思議な生き物「ピクミン」を連れて、目的や目標を達成していく……。というのがだいたいのシリーズの流れです。

各作品の、ストーリー上の目的

:未知の星へ不時着する際に散り散りになってしまった、ロケットのパーツ集め
:主人公の務める「ホコタテ運送」が抱えてしまった借金を返済するためのお宝集め
:主人公が住む星「コッパイ星」の食糧難を解決するためのフルーツ集め
:最新作なので伏せます

しかしその未知の惑星には、危険な「原生生物」が数多く生息しています。そこでピクミンたちの力を借り、そのさまざまな個性を活かしながら、立ちはだかる危機や障壁を乗り越えていくというわけです。

ピクミンの個性(例)

赤ピクミン:火に強く、攻撃力が高い
黄ピクミン:電気に強く、投げると高く飛び上がる
青ピクミン:水に強く、溺れない

また、ピクミンは原生生物を倒すと、「オニヨン」と呼ばれる自分たちの母体にその亡骸を運びます。

運ばれていく原生生物
(左:チャッピー/右:コチャッピー)

オニヨンは亡骸を吸収すると、新たなピクミンの種を吹き出します。
ピクミンはこうして、数を増やしているのです。

吹き出された種から芽生えた、
ピクミンの新しい芽

概要はこんな感じです。次の項に移ります。

私がなぜピクミンを好きなのか

無数にあるのですが、大きく分けて3つ書いていきます。

① ピクミンという存在

かわいい。

これは本当に大きな理由です。
なんとも言えないこの表情。

こんなに大勢で主人公をじっと見つめて、一体なにを考えているんでしょうかね。ピクミンは、自分を引っこ抜いた相手をリーダーだと判断する習性を持っているのですが、そんなピクミンがどんな気持ちでリーダーについていくのかは、シリーズが発展した今でも分からない、ひとつの謎でもあるのです。

他にも、しばらく様子を見ていると、退屈そうに寝そべったり、きょろきょろと周囲を見渡したり、頭にある葉っぱをお手入れしたり……。じつにさまざまな仕草をします。謎が多くてもやっぱり生き物です。

そしてこのピクミン……。

ちょっと気を抜くとあっけなく命を落としてしまいます。

体長たったの2cmしかないピクミンたちは、さまざまな原生生物に食べられ、踏まれ、広大な舞台の中で燃やされ、溺れ、感電し、毒に苦しみ……。

あまりに儚く、あっけなく散ってしまうピクミンたちの命が、プレイヤーの手腕と采配にかかっているというのも、このゲームの大きな特徴です。
しかし、そんなかわいく儚いピクミンが、主人公のために一生懸命に何かを運んだり、戦ったりしながら、どんどんその命の数を増やしていく様子は、時に強く胸を打ちます。

② どこか親しみを覚える、冒険の舞台「惑星 PNF-404」

最初に未知の惑星と書きましたが、ピクミンたちのいる星には「PNF-404」という名称があります。『3』で初めてこの名称が判明しました。おそらく、主人公たちの住む星(ホコタテ星やコッパイ星)の住人たちによって名付けられたのでしょう。

そして、この舞台をじっくり眺めてみると、そこに広がるのは……。


私たちが親しみを覚える景色。

そこに生きる、ピクミンをはじめとした、見たことのないたくさんの生き物たち。人の気配があるようで全くないこの星で、たくさんの生き物による弱肉強食の過酷な世界が繰り広げられます。このある種のミスマッチ感が、たまらなく好きなのです。
もともと、3Dゲームの中で感じる空気や雰囲気、ある種の孤独感などがすごく好きなのですが、ピクミンも例外ではありません。『1』の各種地上マップ、『2』の地下、『3』のラストステージとかとっても好きです『4』にも好きな景色があります。

特に好きなのは『2』の地下ステージにある

タイル張りのエリアと、
砂場みたいなエリア。

日常でよく見かける景色を、ピクミンたちのサイズ感と馴染ませつつ、本当に丁寧に描いているなと思います。

③ そこに生きる、様々な「原生生物」

ピクミンたちと同じように、ごく当たり前にその星で生きている原生生物たち。その生態もまた実に不思議で、代表的な生き物である、上記の「チャッピー」系統を始め、

・地中に潜って獲物を待ち伏せする、ヘビと鳥が融合したような姿の「ヘビガラス

ヘビガラス

・ピクミンと同じ歩根類(ほこんるい)でありながら、一個体の生物であるかのように捕食によって栄養を確保する「びっくり菊

びっくり菊

・暗い洞窟の中に生息し、淡く発光する体毛によって光を屈折させることで、自らの姿を完全に透明化できる「オオバケカガミ

オオバケカガミ

など、個性的な生き物が数多く登場します。中には本当に生き物なのかすら疑わしい、とんでもない生態を持つものも登場します。

代表的な登場人物である「キャプテン・オリマー」による解説も、ピクミンシリーズの見どころ。通称と分類名、和名を始め、細かな生態や科学的な見解など、それぞれの原生生物にとても詳しい情報が載せられているのです。

「原生生物図鑑」ブタドックリの項目
(『ピクミン4』)

そして主人公とピクミンたちは、自分たちの目的のために、この危険な生き物にも立ち向かっていきます。
一個体では弱いピクミンでも、たくさん増えたり、リーダーが的確な指示をしたりすれば、それらを大きく凌駕する強さを見せるのです。

まだまだ書きたいことが山ほどありますが、これくらいにして次の項に移ります。

このゲームに私が何を感じているのか

ここからは、ピクミンを通して私が感じていることや、考えていることを、同じく3つに分けて書いていきます。主観になることをご了承ください。

① ピクミンたちが見ている景色

前述しましたが、作中の景色がとても好きです。私たちには馴染み深い景色ではありますが、ピクミンたちにはどう見えているのでしょうね。

少し個人的なことになりますが、私が感じている事を少しだけ書きます。

自分の子供の頃とかを思い出してみると、身近な場所や物がとっても大きく見えていたように思います。じっさい物理的に大きいのですが。

例えば何年か経って自分が体格的に大きくなってから、久しぶりに訪れる場所へやってくると「……あれ?なんだか少し小さい……?」と感じることがあったりすると思います。

自分が小さかったのか、周りが大きかったのか。
自分が大きくなったのか、周りが小さくなったのか。

ピクミンというキャラクターは、その貴重な感覚を、ゲームを通して伝えたり思い出させたりしてくれるのです。

そしていま生活をしていて、自分はまだまだちっぽけだと思う事があっても、ピクミンたちの視点を思い出すと、そのあまりにも大きな世界にとっても安心するのです。なんでもないように見える景色が壮大で、輝いて見える。うまく書けなくて申し訳ないのですが、ピクミンを遊んだ後はいつも、周りのちょっとした景色がとても楽しく見えるのです。

手元にあるものにしても、このコップを運ぶにはどれくらいのピクミンがいればいいかな、とか、自転車の鍵くらいなら軽いし1~2匹で運べるだろうな、とか……。

② か弱いけれど、さまざまな特技がある

一匹一匹ではすぐに命を落としてしまうピクミン。しかし主人公にとって、ピクミンたちの助けなくしては、この星での戦いを切り抜けることはできません。

そこで問われるのは、プレイヤーの判断力。

いろいろな個性を持つピクミンを、いつ活かし、どう戦わせ、そしてどこで増やすかというのは、遊んでいてしょっちゅう頭を過ります。

本心で言えば私は戦わせたくないんです。ペレット(ピクミンの栄養源のひとつである、大地のエキスが結晶化したもの)だけでピクミンをたくさん増やして、広々とした自然で何となくのんびり過ごすのが私にとってこのゲームの理想です。
『1』はそうもいきませんが、実際『2』以降はそういうのんびりとした遊び方もできるようになっています。

しかし主人公にも、星からの脱出や食料の確保など、成さなければいけない目的があります。そしてそれは、ピクミンたちがリーダーだと認めてくれた、自分自身の出番であることも意味します。ピクミンたちと同じように、自分にもできることがある。

そして、ピクミンと協力してやっと迎えられるエンディングは、胸に響くものがあります。毎回感動して泣いちゃいます。1のエンディングとか特に大好きです。

別れの時が必ず来てしまうのは寂しいことですが、だからこそ毎回、なるべくたくさんピクミンを増やしてあげたいと思います。自分たちの目的のためだけじゃ悪いですし……。

③ 怖さと癒しの共生

原生生物に立ち向かう時、どうしてもピクミンを犠牲にせざるを得ない時があります。しかもそれは、自分の判断や采配のミスに直結することが多いです。

ここで怖いのが、「あの敵は強いから、何匹かやられても良いようにこのピクミンを多めに連れていくか」とか「これくらいやられても、この敵をオニヨンに持っていけばピクミンがいっぱい増えるからいいか」という考えがよぎってしまう所。

ピクミンは本来、替えの効かない存在であるはずなんです。一匹一匹が意思を持っていることは、遊んでいてもよく分かるようになっています。人間と同じようにたったひとつの存在であるピクミンを、「たくさん連れて歩ける」というたった一点の利ために、こういう風に考えてしまう。もともとあんまりゲームうまくないので、何度遊んでもこうなっちゃいます。たすけて。

そして、やっぱりピクミンたちのさまざまな仕草や、主人公の目的のために一生懸命なにかを運んでいる姿には癒されます。かわいいと思うからこそ、死なせてしまった時の悲しさや申し訳なさも引き立ちます。この感覚はこのゲームならではだと思います。

まとめ

ピクミンというゲームは私にとって、「何かと向き合っている」という気持ちにさせてくれるゲームです。それはピクミンのかわいさであったり、命であったり、冒険の舞台のどことない懐かしさであったり、ピクミンたちと協力した末の「できた!」という達成感だったり、じつに色々です。

初めて『1』を遊んだのは4年と半年くらい前で、けっこう最近です。新しい楽しみを貪欲に欲していた時期で、もともと気になっていたこのゲームを『2』と一緒に中古で買いました。2本合わせて7,000円くらいで、人気ぶりが窺えたのを覚えています。

学生の頃に遊んでいる人は周りにけっこういたので、どんなゲームかという記憶はうっすらとあったのですが、ここまでハマるとは思ってませんでした。現在『1』~『4』まで、ナンバリングタイトルは全て持っているのですが、3DSで発売された『hey! ピクミン』や、スマホアプリの『Pikmin Bloom』も、いつか遊んでみたいです。

最後に、こんなに長いnoteを読んで頂き、ありがとうございます。
ピクミンの面白さに少しでも興味を持ったり、共感してもらったりすれば幸いです。

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