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飾らない私を愛すな、ギッタンギッタンに殺せ。

(2016年に書いた手記を幾分か手直ししたものです)

友達がいない。少女屋です。
今日もぽちぽちと文章を直しています。なんか他にもやるべきことがあるような気がするのですが、大丈夫ですかね。俺のゲームを出せば院試なんてチョロいチョロいワッハッハと豪語しているんですが、大丈夫ですかね。

私めは友達がおらず、小学生の頃はダッシュで家に帰ってパソコンに齧り付き、ハム速の釣りスレを見て笑い、好きな漫画の二次創作裏サイトへのパスワードにうんうん唸っていた、まぁ~~~~~~~~~~~~普通より暗い子供でありました。
そんな私が何より、いやハム速の釣りスレの次ぐらいに好きだったものが小説の執筆です。
自分と似た名前の主人公が探偵事務所を開き、主人公、その妹(私は一人っ子ですが)、主人公の親友、ラスボスのスパイの四人で様々な事件を解決していくストーリーで、Windows付属のメモ帳が容量オーバーで書けなくなる程書いておりました。
今はもう手元にないのですが、あのとき小説を書かずに友達を作ってワイワイ縄跳びや一輪車で遊んでいたら今の私はないと思うと感慨深いものがあります。
何も考えずに文章を書くのはとても楽しく、自分の世界を構築できる創造主にも似たよろこびは、一度でも創作をした方には分かって頂けるのではないかと思います。
あの麻薬のような快感が忘れられず、それから数十年経った今でもこうして物語作りを続けているのだから、やっぱり幼少期に友達はいなくてよかったなぁと思います。

閑話休題。

ノベルゲーム用に書く文章と小説で読んでもらうための文章って全然違うんですね。まぁそりゃそうか、という感じなんですけども。
「Kの肖像」という自作小説をノベルゲームにしようとしたとき、私はこう思いました。「これをゲームに流し込めばノベルゲームの出来上がりなんだ、ッヒヒョーこんなことで夢のゲーム制作ができるなんて、人生チョロ過ぎるぜ」
私には躁病の気があります。
しかし、ノベルゲームのウィンドウをイメージして、美麗な立ち絵がしっかりあると仮定して文章を読み直してみると、躁状態の私でもってさえとても遊べるものではないのです。私は愕然としました。人生はつらく厳しいものであった。

ノベルゲーム用に書く文章と小説で読んでもらうための文章は違うのです。もっと言うと「誰かに読んでもらうために書く文章」というものが私には全くできていなかったのです。
これまで小説を書けていたのも、「私が私の為に書いた文章」がたまたま小説という表現方法にマッチしていただけだったのです。ワンフォアワン、ワンフォアワンです。
所属している文芸部の読評会で「お前の文章は読みにく過ぎる」「もっと分かりやすく書け」と酷評されていた理由が分かりました。十数年文章を書いておりましたが、十数年間何億字と私は私のためにしか書かなかったのです。
「でもでもぉ~飾らない私を愛してくれるのがぁ~、真の愛ってゆぅかぁ~」とのたまってノーメイク部屋着でデートに現れるカノジョのような女が私はものすごく嫌いです。
例えるなら、ケーキ屋が「これウマいから!」とデコレーションもせずにスポンジに乱雑に切った果物を挟んで生クリームべじゃっとぶちまけて700円で売り出すようなものです。ええ加減にせえよテメエ、ぬわぁ~~~にが「でもでもぉ~飾らない私を愛してくれるのがぁ~、真の愛ってゆぅかぁ~」じゃヴォケ、という感じです。しかし今の私はまごうこと無き「でもでもぉ~飾らない私を愛してくれるのがぁ~、真の愛ってゆぅかぁ~」女でした。
マジかよ。

そんなこんなで、ちゃんと皆様に楽しんでいただけるよう大急ぎで文章を練り直している「Kの肖像」、がんばりますので、遊んでください、読んでください。ノベルゲームはまだですが小説はこちらからお買い求めいただけます。他にも短編集が盛りだくさんで1000円です。何卒⋯⋯何卒⋯⋯よろしくお願いいたします⋯⋯。⇒ https://syojoshop.booth.pm/items/2272568

まだサークルサイトも出来てないんですが何とかしたいです。友達のいない少女屋先生に応援のお便りはコチラ!(何もないコメント欄を指差す)

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