ははおやのはなし

父親の次は母親のはなし。
これまた今考えると変わった人ではあった。父親よりは全然マシだったが、いわゆる赤いお母さんで小学生の頃は劇団的なものに入らされよく知らないお兄さんお姉さん(若手党員?)とキャンプなど嗜んだ記憶が残っている。それ自体はいい思い出として残っているけども。だがしかし、緑の羽根や赤い羽根、の横の金なんたら書記的な募金に子供の前でお金を入れてしまう人だったのでそれなりにイカれてはいたのかなと思わなくもない(苦笑)まぁ政治信条だと言われれば返す言葉もないが。何ヶ月かごとによくわからない署名はさせられる上に、はだしのゲンも小学生で履修し、家には新聞が2種類届いていたし、いわさきちひろも好きだった人であった。それはもうがっつりである。(苦笑)父親に真っ向から文句も言う人だったのでケンカも耐えなかった。ほんとになんでこの人たち結婚したんだろう?と思っちゃうくらいw対する父親はザ・サラリーマンと言うような感じで応援していたのは社会党(当時)で家にも2枚のポスターが貼ってあったくらい、誰に見せたいのかはよくわからないが(笑)とにかく夫婦仲は別に良くなかったことを覚えている。そんな父母に育てられたおかげかどうかわからないが、自然と中立を好む性格になってしまった。僕自身、無宗教、無信心、政治もあまり興味はない。戦争は行きたくないな、くらい。なので大した大人ではないのだけど、自分の思考は嫌いではない。どっちにも与しないって響きは嫌いじゃない。父も母も中卒で婆さんいわく気がついたら連れてきてたとのこと、どこでみっけたんだろう?僕を知っている人はわかると思うが、父も母もルックスの方の才能はなかった人たち、ご多分に漏れず僕も才能はないと思っているがwそれで悩んでいたのも二十歳くらいまで(遅いw)で今は別になんとも感じていない。人間は見た目じゃないから!w結局母親も父を遡ること7年くらい前に50そこそこで鬼籍に入ってしまったので、短い人生だったなと思う。毎日残業していたし、酒もタバコもやらず、食には興味のない人だった。最後はガンだったけれど。趣味は活字を読むことと正月の駅伝だけ、時々姪っ子に服を作るのは好きだったようだ。そんな事もあって、自分は出来れば長生きをしたいと漠然と思っていたが、去年大病をしてからはそうも思わなくなった。なにか残すことはこのnoteくらいしか出来そうにないし(苦笑)そもそも残す相手もいないから、苦しくなけりゃまぁいいかと言う気分ではある。生きていくにも何かと入り用だ。面倒な世の中だね。僕の場合痛い思いをしなくとも美味しいものをたらふく食べると逝けるはずだが試したことはないw

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