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台拭きのしかた。

私の父方の祖父母の家(私の父が生まれ育った家)は、
私が両親と暮らしていた家とは別で、車で1時間ちょっとかかる、本当にのどかな田舎にあって、とても立派な家だった。
年齢を重ねた祖父母は、私が学生の頃から私の家の小さな別棟で暮らすようになったため、それと同時にその家はほかの人の手に渡ったけれど、昨年9カ月前に母が他界したのをきっかけに、父や母の故郷に帰ったときに立ち寄ったその田舎町は過疎化が進んでお年寄りばかりが暮らす地域になってしまっていたけれど、でも、そののどかな風景は今もまったく変わることはなかった。

私が幼いころ、私の父は自分で小さな会社をやっていて、営業のため出張が多かった。
事務方を務めたのが母だったのだけど、その母はいつも忙しくしていて、週末学校が休みで家にいる私の世話ができそうもないほどの仕事量のときは、私はよく祖父母の家で預かられた。

父は4人兄弟で、それぞれの家族に子供がいて、お盆やお正月はみんなが祖父母の家に帰ってきて賑やかだった。
ある時、私は確か父と母とで祖父母の家で過ごしていた。
台所は土間で、かまどもあった。
そんな台所でごはんの支度をしているところへ、私は食卓の台拭きを命じられた。
私は濡れたふきんで食卓を拭いた。

でも、その拭き上がりを見て父が拭き直した。
拭き直しながら、父は言った。
「台の拭き方は、こうや。お前のは、’撫でた’っちゅーんや。」

父は、力を込めて、台を隅々まで拭いた。

今ならわかる、当たり前のようなこと。
今からごはんが並ぶ食卓を、力を込めて綺麗にする。
戦争を知る父にとって、食卓におかずが並ぶことは贅沢だったかもしれないし、祖母が一生懸命作ってくれたものだという想いがあったかもしれないし、みんなが気持ちよく食べられるようにという想いだったかもしれない。
いずれにしても、力を込めて隅々まで綺麗にする、それを「拭く」というのだと、父は私に言った。
今思えば、「お前の拭き方は全くなってない」を「撫でる」と言ったのは、父なりに意識したのかしなかったのかはわからないけれど、ある意味オブラートに包まれていると思うけれど、私は、こどもながらに腹が立った思い出がある。素直でなっただけだけど、その言い方になんだか納得がいかなかった。

・・・・・

そんな父のもとに、娘と息子と私が集合した。
お正月に集まりそびれたことと、ちょうど息子の仕事も落ち着いて休みがもらえて帰って来るタイミングが、もうすぐやってくる父の誕生日と近かったりもして。
息子と父が会うのは、母の他界以来だ。
母が他界してから一人暮らしをする父の家は、当然だけど人の数は一人、少し耳が遠いせいでテレビの音が若干大きい。
そんな家が、久しぶりに賑やかになった。

娘が、お正月に渡すつもりだったクリスマスプレゼントを父に渡す。
娘が選んだセーターを手に取って、嬉しそうにする父。
「晩ご飯どうする?」、日が暮れる頃に私の車に4人が乗り込んで回転寿司に行って大盛食べた。
部屋は別だけど、同じ屋根の下でみんなで眠る。
翌朝は、私や父が身支度をしている間に、息子と娘がごはんを用意してくれ、一つのテーブルを囲んだ。

去年のお正月は母もまだ生きていて、5人だったけど、今年は4人。

朝ごはんが終わって間もなく、父のお誕生日ケーキをつくった。
市販のロールケーキにクリームとフルーツをデコレーションするというシンプルなものだけど、そこに「Happy Birthday!!」と書かれた大きなろうそくを立てた。
父はとても嬉しそう。
朝ごはんを食べてすぐだったのにあっという間に食べてしまい、満足そう。

私の娘や息子と父は以前から仲が良いけれど、私はそうではなかった。
母が元気だったころ、私は母が大嫌いで、母ほどではなかったけれど鬱陶しいと感じることが多かった父の存在が、私の中で愛しいものに変わったのは、やはり母の他界以降だ。
こんなに仲良くいられるようになったのは、間違いなく母の他界以降で、こんな風に母は、自身の命の終わりを通して私と父との関係もよくしてくれた。

そんな父、あと数日で84歳。

父さん、ありがとうね。
これからも、みんな仲良くしようね。
少し早いけれど、お誕生日、おめでとう。


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