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どうしてフランスに? 〜振り返りの試み〜

なぜフランスに? その1

2012年から14年までのフランス滞在のことや、その後一旦日本に帰った後に、再びフランスに戻り、暮らすようになった経緯について振り返りたいと思って久しい。何度か試みたものの、結局どこから手をつけていいのかわからないまま実現せず、今日に至る。すぐにまた挫けるかもしれないが、とにかく少しでも書いてみようと思う。

そもそも、なぜフランスだったのか。フランスなのか。なぜだろう。自分のことだというのに、よくわからない。わからないのだが、おそらく、「母の影響」というのが一番シンプルで、ぴったりくる答えのような気がする。私の母は、根っからのフランコフィルだった。京大の仏文科で、伊吹武彦さんらにお世話になった、サルトルやシモーヌ・ド・ボーヴォワールに傾倒していた、フランスの児童書の翻訳をやったり、フランス映画の評をしたりしていた、ということは本人から聞いていた。残念ながら、彼女は31年前の11月28にこの世を去ってしまったので、今、改めて詳細を聞くことはできないのだが、とにかく彼女はフランス愛に満ちた人だった。私にとって母は、人生のお手本を示してくれた人であり、芸術や文学、「美」というものに対する手ほどきをしてくれたのも彼女だったので、彼女のフランスに対する感覚が私の中に染み込んできたのは当然だと思う。連れて行かれた映画はフランス映画が多かったし、中学生の時には家族でパリに旅行した。JALパックの自由時間あり、というやつだったと記憶している。とにかく、そんな感じで、私の周りにはいつも「フランス」がふわふわしていた。こういう状況が少しずつ私をフランスの方に押していったのではないだろうか。本人の自覚とは別のところで。結果、大学で第二外国語を選ぶ際にも、フランス語を選択。他の言語と迷うようなこともなかったが、そこには何か深い理由があった訳ではなく、ただ他の言語には目が向かなかっただけだった。なぜだかわからないが。母の死後、私が文化庁の在外研修でフランス行きを選んで申請したのも、あくまで母への思いが前提となってのもの。(実際には私は在研の対象には選ばれず、その後自費で3ヶ月パリに滞在した)フランスと私の空気で繋がっているような極めて曖昧な関係は、その後も長い間続いていく。この関係が一転したのは、友人たちのフランス人俳優、演出家との仕事を見、現場での様子を聞いた時。その延長で、フランス語圏の俳優主体のワークショップに参加し、私のフランスへの興味が、かなり自発的なものへと変化する。そして、フランス人俳優が日本にきた際に、自分の劇団の俳優たちと何かWSのようなものはできないだろうか、というようなこと考え始める。とはいえ、考え出した、という程度で、この時点では、具体的な行動は起こすに至らない。
とにかく、一つスイッチが入った、それは確かだった。

それでは、一体いつ、なぜ、どういう経緯でフランス行きを決めるのか、決めたのか、を次の回で振り返ってみたいと思う。


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