見出し画像

いろいろ発見、いろいろ向き合う

日本に戻ってきて、凄まじい勢いで片付けに取り組んでいる。出来るだけいらないものを減らしていこうと思うのだが、とにかく紙ものが多くて、どう処理していいのかわからない。それでも意を決して引っ掻き回しているうちに、古い書きものが姿を現し、嫌が応にも過去と対峙せざるを得なくなる。13歳の頃の日記など見ると、ああ、こりゃ三つ子の魂とはよう言った、こっぱずかしいくらいに変わっとらん、と思ったり、すっかり忘れていた発言が記事になって残っているのを発見し、あじゃ、あの時わたしゃこんなつもりだったのか、知らなんだ(覚えてなかった)と反省し、しかし、その内容が、今読んでいる本と気持ちが悪いくらいリンクしていることに震撼とする。片付けの手をぱったり止めて、ああ、やはり書き記しておくことは大切かもしれないなあ、とぼんやり考える。モノゴトを整理する、ということは、過去と向き合うことでもあり、そこから新たに違うモノゴトを発見することでもある。私の過去は、私のものでありながら、しかし、今の私の目で見れば、誰か違う人のもののようにも思えてくる。ここに書いたことも、書き上げて、投稿すれば、その時点で過去になる。いつの日か、この記事をその未来の私が読んで、過去と向き合い、何かを見つけたりするのだろうか。などとやっていると、片付けは一向に進まず、山積みの紙類は、捨てられないままただ横に移動、というだけになる。整理する、なにかいい方法はないだろうか。少しは処理したものの、まだまだ終了までの道は遠い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?