いじめっ子のお母さん

あとで振り返れば自分の当時の性格にも非はあるのは確かだったけれど、よくいじめられていた。ニュースとかで聞くほどの酷いものでは無いけど、多分泣き虫ですぐ怒る自分に対する嫌味だったんだろうなぁって。だからいじめっ子の彼らは案外それ以外の時には頼もしい友でもあった気がします。

それはさておき、そのいじめっ子の中の1人。Hと言っておきます。彼と同じクラスになったのは小学3~4年の頃。弟のいるHは目つきが悪くて、蹴られたり殴られると誰よりも痛くて、悪口は言うけれどたまに会うと「よしくんじゃあねー」って気安く優しく声をかけてくれる、今思えばなんか可愛くて憎めないH。

そんなある日彼が学校を休んだ。風邪とかだと思ったが、彼の母が亡くなったと言うことを担任の先生が朝か帰りの回でクラスに告げた。先生だってわざわざ生徒の母の死因までは言わない。亡くなったとだけ伝えた。
突然の死かもわからない、病気で闘病を続けていたかも知れない。でももし闘病の末の死ならば、私をいじめてた裏でとても深刻な顔をしていたかも知れない。
欠席している今、彼は母を前にして涙を流しているだろうか。私に、学校の誰にも見せない顔で弟と一緒に悲しんでいるのかも知れない。それを思うとその当時から今でもずっと、言葉にできない感情が私の眉にシワを寄せます。

彼がまた学校に来てからも、変わらない彼のままだった。変わらず性格の悪い私をいじめてはきたが、彼に対して抵抗する感情にどこかブレーキが掛かったのは確かだった。

3、4年生の担任は新人だったため初めの1年だけ助手の先生がつく。4年生の時にはその先生はいなかったが、一度だけ学校の前の公園で他の友達と一緒に会った。自転車で九州を一周したとか話してくれた。
ある友達から「どうしてまたここに来たの?」と質問への返事の一つに「H君のお母さんのお墓参りもね」と答えたのが、少し忘れかけていたHの母の死をまた印象付けるものとなった。

この出来事は、当時まだ祖父母の死を経験していなかった私にとっての初めての身近な死。それもざっくりと言えば当時の自分にとっての敵とも言えたクラスメイトの母というフィルターが通されている。

クラスメイト・いじめっ子という関係だったが、彼の母が亡くなってしまったことは、自分の中でも自分を構成する何かが大きく欠けてしまったような感覚であり、今でもずっと感じている。正直、自分の祖父母が亡くなったことよりも胸に感じる別の喪失感でもある。

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