琴奏 沈丁花香る早朝の京都・文子天満宮

令和直前くらいの、数年前の動画を発掘したのを、アップ。
この季節の早朝参拝の心地よかった記憶が甦り、今ごろですが編集に駆られました(^^ゞ

早朝とはいえ人通りもあるし、声と音をひそめて奉ったので、石笛も声も少しうわずっていますが、
沈丁花の香りに包まれて、清浄な朝の氣の中で奏でるのは、至福至上のひとときでした✨

文子天満宮様は、京都駅からほど近い七条にあるので、
よく、夜行バス着すぐに参っております。
もともと天神様に惹かれたきっかけは、研究者の頃にたまたま“多治比文子”という名を知ったことからで、
一時期、他所でも明記されずに祀られている「文子社」に、旅先の偶然でたどり着いて出会うご縁も重なり、
北野天満宮でも必ず文子様のお社と祠に参るのが常です。
ちなみに文子社には、小さな黒猫に案内してもらって、最初に参ったいきさつもありました。

平安京の果て、かつての東市(ひがしのいち)の片すみで、ひっそりと神託占いなどしていた市巫女に、荒神として太宰府からお戻りの菅原道真公の神霊がおりて、我を北野に祀るよう奏上せよと告げます。
しかし身分の低い市巫女に、宮中に訴えかける伝手はなく、畏れながらと、市の占い処にひっそり奉った、その名残りが、こちらの由来です。
その後、菅公は他の神職僧侶などにも憑き、やがて北野に鎮まることが叶いましたので、こちらの文子天満宮から遷座したとされ、今は北野天満宮の前身とされています。
この多治比文子については、菅公の乳母とする話もあるようですが、年代が合わないので、市井の市巫女なのだろうと推察しますが、少女の身に、いかに巫女なれども、天満天神という強大な神霊をおろしたために、託宣ののちすぐに亡くなられたという話もあるそうです。
その後、無事に北野天満宮が祀られた後、文子様も北野天満宮内に祀られて、
かつては北野天満宮界隈で神ごとの芸能を行う巫女集団を「文子さん」と呼んでいたという記録をみたことがあるのですが、
たぶんそれが、現在の上七軒にも通じているように思います。

夜行バスで出かける一番のメリットは、夜明け頃の早朝に着くこと。
拝観料などで開門時間が定まっている寺社仏閣以外は、たいてい参拝ができます。
京都の伏見稲荷大社や北野天満宮など、日中はとてつもなく人が多い聖地も、早朝は関係者以外はいなくて、静かに祈れる特等タイム。清水寺や奈良の大仏殿なども、開門が早いので朝イチが最高。
さらに、ひんやりと新鮮な朝の氣が、命が目覚めるような心地よさ。神仏の威氣が最も感じられ、荘厳さに涙がこぼれるほど有難い祈りにひたれます。
旅中でも、宿坊泊でもなければ、なかなか早朝に起き出して出かけるのは大変なので、夜行バス着が最良なのです。

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