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「できる」からといって「教えられる」わけではない

知っていること、成果、できること等を、伝えたり、教えたらいいのに……と言われることがあります。
いやそんなに大したことはしていない……と、謙遜ではなく思うのですが、他者から見ると珍しい経歴の部分があって、やってることが珍しいらしいので、
人によっては興味があって、得難いスキルや知識経験のことがあるからと。

その道のプロの方々によれば、音楽関係や、舞踏家、文学関係の専門家等など、世界的に有名で活躍している人であっても、
たいていは、表舞台や作品で収入を得るより、生徒さんや弟子を育てて自分流儀を教え、教室を増やすことで生計を立てている人が多いそうで、それによって知ってもらう層を増やしつつ、さらなる活躍の場に繋げていくとのこと。

だから、その道で生きていきたいと思うなら、それを教える場を拡げる努力をすべきだと勧められるわけです。
教えられるということは、それだけのものを持っていて、今に至るまでに多くの努力と経験を得てきたという証しでもあるから。

私としても、教えるというより、伝えたい語りたいと思うことはあって、
勧められるまま、ワークショップなどでライトな場を設けたことが何度かありますが……

私はどうも、何かを媒体として……たとえば舞台で舞う、奏でる、歌う、または文章として、
私自身ではなく別の次元や架空世界に託して表す形でなら、何かしらを感じてもらうことはできるのですが、
私自身の素の状態で、現実世界で、実態を持って、自分の中にあるものを話し、伝えるというのは、どうも才能がないみたいです。

文系の人間は、いわゆるその道の学歴で専門分野に打ち込んでも、進める道は教員くらいしかないのが現実ですが、私はもともと、教師はダメだと最初からわかっていました。
何度か塾の講師などはやったものの、どうにも向いていない。

どっちかというと、私は社交性外向性で人と接するより、黙々と内にこもって集中する作業のほうが向いています。

これって、人それぞれの特性というか、生まれ持った特質ですよね。

できる、知ってるからといって、教えられるわけではない。

伝統的な流儀があるものではなく、個性的感性でやっていることは、もともとが個人主体の直感的なものだから、汎用性がある形で伝えるのが難しい。

歌手や音楽家、作家など、プロで名だたる人でも、他者の個性を判定して伸ばせるタイプの人と、自分自身の表現以外は難しい人がいますし、
普通に社会人でも、広い目を持って部下を育てられる人と、自分の目線でしか見られない人はいますから、

人に教えたり伝えたりする以前に、自分の器量なり技量なりを見極めないと、単なる押し付けや、自己顕示にしかならないだろうな〜と思うと同時に、
人が求める自分の何かが、自分自身を捻じ曲げないといけない方向であるなら、そこに無理がないかどうかも見極めないと、人に合わせたウソの自分を教えるという、二重の苦渋になりかねないと感じます。

伝える目的、そして求められるものが、
自分自身を伝承させる個的なものか、客観的にマニュアル化した他者理解に特化させたものかを、
自分の中で整理しないと、ブレる原因ともなりますし、

まだまだ試行錯誤。

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