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古語を歌う 琴弾き歌語り

琴で、漢詩や古歌、『古事記』や『源氏物語』の一部を、原文で弾き歌いや朗詠をしてみたことはあるけれど、
なんとなく、『枕草子』も歌い語ってみたい衝動が浮かび上がりました。

うちにはテレビがないので観ていないけれど、
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、Xやネットコラムで話題になっているから、おおよその内容は察しています。
最近は、清少納言が『枕草子』を、主人である定子中宮のために書いた、その成り行きが描かれているようで、
確かに、閉鎖的な環境の中、「こんなことが好き」「こんなことがありましてよ」「こういうのってステキでしょ」と、さまざまなことを連ねて文字でささやくような書きようは、読むことで、ワクワクする心を湧き立たせる連想に導く効果があり、
現実のつらさわびしさ、心憂さを、いっとき忘れさせてくれる、
中宮にとっても、書き手にとっても、楽しい心慰めであったろうと、再認識させてくれる演出のようでした。

今後、対比するように、彰子中宮サロンでの紫式部の『源氏物語』が、どのような効果を描き出すのか、観られないながらも楽しみではあります。

それにつけても、王朝文学の言葉つきは、かな文字の筆くきのように、清水の流れのような繊細な美しさがあって、歌っていて心地よい。
試しに、琴を弾きながら即興で歌ってみたら、思いがけないほど心地よかったので、


改めて『枕草子』を、テキストとしてではなく全文読み返し、味わい直すついでと言ってはなんですが、
どうせなら、最初から、歌い語りしてみようかな…と、思い立ちました。

原文の趣を崩さぬように自分で現代語訳して、重ね読みしたこともあるけれど、

もともと原文の言葉そのものの響きが美しいので、
むしろ、意味を云々するのは無粋かもしれない。これは、和歌の即興歌いも同じこと。

『平家物語』が、もともと琵琶法師の語りものだったように、
特に平安女流文学は、宮廷や貴族間で、女主人を中心に女房たちによる、書写と共に、読み聞かせもされていたはずなので、
もともと流暢で心地よい、言葉自体の流れが意識されていた感があります。

私は琴を弾きながらのほうが読みやすいし、
琴と共にだと、読みも歌になる。
即興でもあり、大して変化抑揚はつけられないけれど、自分が楽しいから、やってみたいだけ。

章により長短の差があるし、一日一章アップしたとしても、一年くらいかかる気がする。
自分が味わいたいから…しばらく自分自身の継続の課題のつもりで、やってみようと思います。


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