ドライブ・マイ・カー 感想






・物語を書くにあたって、「生きていくこと」を何かに暗喩することがある。

・ゆるせないこと、忘れられないこと、愛しいもの、後悔、あきらめ、人生は苦難と哀しみの連続で、そのなかでも、私たちはただひたすらに生きていくしかない。どうしようもなく、くだらない毎日をなんとか暮らしていくなかに、ただ、生活は続いてゆく。

・その暮らしゆく長き時間を、物語ではよく何かに喩える。例えば吉本ばななのキッチン、ならその「ただ、ひたすらに暮らしゆく場所」へのスポットライトをキッチンにあてる。もっとシンプルに言えば高村光太郎の道程だとか、ほかにも旅だとか、なにかそういうものでの喩えは比較的イメージしやすいかもしれない。

・村上春樹は人間の生活の一部を描き出すとき、そのモチーフに性愛を描き出すことが多い。いたく丁寧に、そして、あたりまえの様に、人が生きていく様のワンシーンを描く上で「性愛」を描くことを忘れない。私はハルキストでもないし、そんなに村上春樹の作品を多く読んだわけでもないのであまり多くは語れないけれど、「この人は「ヒトの暮らし」「生きている時間」を描くにあたっての題材のひとつに、敢えて性を選ぶのだなぁ」という第一の印象は、未だ変わらない。原作を読んでいて、ここまでとしたはっきりとした性描写は原作にはなかったけれど、その、生活の描き方を性描写で表現するところは実に村上春樹の作品らしく感じた。家福夫妻の生活を描くにあたって、例えば車のシーンだとか、食事、買い物、散歩、料理、シンプルな会話、いくらでも日常の切り取り方は思いつくけれど、敢えて中心に性愛を持ってくるところに、すごく村上春樹の雰囲気を感じるなぁと思ったり。音の作品の内容とかもだけど。


・生活を描くにあたっての方法は一つの作品のなかでも勿論ひとつじゃない。ドライブマイカー、は名の通り"ドライブ"すなわち車を運転することが、ひとつの(最も)大きな題材である。

・いかなる悪路であろうとも、悪天候であろうとも、ミサキはただ淡々と、顔色も変えず、どこか諦めて、あるいは後悔をして、少しだけなにかを信じて運転する。それが彼女の仕事だから。彼女の運転スタイルは、どこか彼女の人生そのものに近いのかもしれない。答えだとか、正しさ、正解なんてものはなくて、ただひたすらに、日々は過ぎてゆく。

・ドライブマイカーの主題というか、テーマ、着地点みたいなところは「生けるものはただひたすらに生きゆくこと」(そしてそれは明るく、楽しく平和なものではない)みたいなものだと思うのだけれど、その主題は劇中に登場するチェーホフのワーニャ伯父さんの主題と被る。作品を通してのテーマと、劇中に登場する作品のテーマを上手くリンクさせていくのは本当に見事だった。そのひとつのセリフが、何通りもの捉え方となりうる。家福の言葉を借りれば、恐ろしい。引きずり込まれる。


・生きること、ただ生きていくこと、それはまるでなにかの説得のように、言い聞かされるかのように繰り返される。


・ミサキの母が、ミサキに運転を教えたこと「自分のためだとは思うけれど、とても丁寧に教えてくれた」「感謝している」というミサキの言葉に、「そういうものなんだと思うよ」と肯定する家福のことばと、
 音が自分を愛していたこと、それでも他の男と身体を重ねていたことの二面に、「秘密などはなく、ただ、どちらも音の姿だったのでは」と説くミサキのことばが重なる。
 他者はどこまで行っても他者なので、すべてを理解し得ることはできない。でも、その努力は諦めずにいたい、という願い。
 どうしようもない過去への肯定と、受容。それらを乗り越えて私たちは「生きていくしかないのだ」と叩き込まれる。ふたりが、見たこともない父の姿と見ることのない娘の姿を重ねてもたれかかるように抱き合ったシーン。


・あと、煙草の描き方もすごく好きだったな。みんなガバガバ吸う。どうしようもない人間が生きていく姿を表現するのに、煙草はほんとにちょうどいい。吸う人物をすごく自己的に描きやすいし、物語の"間"みたいなのも作りやすい。どうしようもなく生きていく怠惰で、でも必死な感じを描くのにすごく良い。



・あ、高槻がすごくいいキャラだった。自分の欲に忠実で、まっすぐで、あまりにもまっすぐで一生懸命なのに(だからこそか)どこか捻れて歪んでいる。あのおかしなバランス感がすごく気持ち悪くて良かった。ずっとずっと好青年に見ゆるのに、どこか抜けてる若い熱血役者程度に見えるのに、常にどこか陰があって、気持ち悪い。あのアンバランスさがすごく胸の隙間に入り込むいやらしさを感じてよかった。

・気持ち悪さで言えば、音を演じる役者さんの目も見事だった。なにしてるときも何も写ってないみたいなぼんやりとした瞳。ぞくりとする。娘が死んでから、もしかしたらずっと音は抜け殻だったのかもしれない。性行為だけが、彼女をこの世に引き止める手段だったんでないかなと思う。性欲って、すごく人間的なものだから。

・とつとつと物語を語る彼女はすでにこの世のものでなかったんじゃないだろうか。彼女にとって、死が悲劇だったように見えない描き方が上手いと思う。


・彼女のからっぽさは、車のなかで再生されるテープの棒読み感にもある。本読みのときにあえて家福が演者に棒読みを求めるのは、役者の先入観や人格を一回抜けさせて、そこにキャラクターの命を吹き込むためなのかな、なんて勝手に思ってみていたのだけれど、どの演者の本読みの棒読みより棒読み(感情がない)のが音のテープの声だったりする。

・彼女自身役者業をやっていたと仄めかされているのに、ぼんやりと、抑揚もなく紡がれる彼女の音声は、聴きやすいけれど、感情を読み取れなくて少し怖さすらある。その空虚感が、音の心の影だったりはしないだろうかと思ったり。深読みかな。

・こういう解釈が多岐にあるお話は本当に飽きない。もっと早く観に行けばよかったなぁ。配信が来たらまた見返したい。この余韻というか、空白がすごく好き。

・関係ないけど、私は学生時代最後の海外への卒業旅行がコロナでぶっ飛んで、代わりに1週間くらい広島と愛媛、あのしまなみの島々を訪れた。本当に素敵な風景だったのをよく覚えていたので、あの景色がとても懐かしかった。レモンの季節に、また行きたい。

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