都幾川を14㎞ 歩いて気付いたこと、 考えたこと、思ったこと その3
そもそも、この「ときがわトレッキングコース」というのは、なかなかに難儀なルートである。終点の旧天文台に行くには7.5㎞、標高875mまで登らねばならない。そこに到着したらしたで、その山のてっぺんからいずれかのバス停に下山せねば家に帰れない。踏破を目指せばそれなりの計画と準備とが必要である。
だから、「午後になったら帰り道を考えよう」というのが今回のコンセプトである。
観音堂の裏山に上る山道があった。
ここに来るまでに、山道にはもう厭いていた。左右から藪が押し寄せ、地面を羊歯が覆い、しかも5歩上るごとにクモの巣である。いささか大袈裟ではあるが、実際そんな気分になり嫌気がさしていたのだ。アスファルトを行くより、柔らかい土の感触を足の裏に味わうことを好む私が、この先の分岐で、真っ直ぐ上る道でなく、左へゆるやかに下る道を本能的に選択した。まもなく小径は無事に舗装道路に合流した、正解である。
やがて、樹林のひらけた明るい空間が前方に現れ、じきに霊山院の手入れの行き届いた岩組みと庭、伽藍が見えてきた。
慈光寺観音堂に出くわして圧倒されたばかりだったのに、ここでまた神秘的な感慨を抱く。上り上り上り着いてみたそこに、想像をしていなかった光景を見た、と言うことであろうか。スケールこそ違え、くねくねと続く細い林道を運転し、人家も途絶えた深山のさらに奥深くたどり着いたら高野山だった、とか、同様に峠道を登りついたら神津牧場だった、みたいな、人里離れた雲上の桃源郷に共通する空気が、霊山院に漂っているのである。
関東最古の禅門だという。境内の板碑など写真に収め、そうかここに古刹があったのだな、認識が上書きされた。隣には霊山院霊園、なかなかに整備された山上の墓園。「ニッセイときがわの森」。ここで舗装路が途切れ一般車両進入禁止の鎖。鎖をよけて奥の林道を歩く。快適である、下草もない、山道と違って左右の藪に悩まされないし舗装もされていない。都幾川の山を梅雨時に歩くなら、林道に限る。ぬれた路面もぬかるんではいない。ささやかな水流を遡っていくと、どこからか流れ込んでくるわけでもなく、小さな流れは路面から浸み出しているのである。おや、この浸み出しは最近の雨であろうか、そういえば昨日、夕立が激しかったな。山に降った雨が路面に溢れ出しているのであろう。気付くと小さな流れがいつの間にかできて、小さな奔流となって林間を落ちていく。水の循環を体感する光景。流れをよけつつ元気に進む。
突然、往く手が途切れてしまった。昨年秋の豪雨災害から、まだ復旧していないらしい。進入禁止のロープの5m向こうに冠岩下休憩所が見えているのだが、入っちゃいけない。「危険」「きけん」「通行止」11半㏂。ふと見上げると、急な小径の入り口に指導標、「堂平」への山道は続いている、どうしよう。この上が冠岩、冠岩くらいは見てみても…。そろそろめし時、休憩所は使えない。う~ん、山道は登りたくない。よ~く考えた。
…降りよう。今来た道を戻れば正午前に霊山院に戻れるはずだ。よく歩いた、今日のトレッキングはもう満足だ。自らに言い聞かせながら来た道を戻ってみる。路面から浸み出す水はいよいよ多く、道が削られていく様相。周りの樹々は充実している。都幾の深い森の地味深さを実感する。
霊山院霊園隣が林道始点、そこの丸太に腰掛けてささやかなLUNCH TIME。森に囲まれ一息入れる。
さて、食べると催す、WCだ、どうしよう。霊山院の方角を見るとおやトイレがある。山の中の公衆便所だ、紙が無かったらどうしよう、なんて思いながら借りてみたら!ウォシュレットではないか!ここは、後野公衆トイレ。
ときがわ町、ありがとう、今朝も庁舎のWCを拝借したのだよ、なんてきれいなトイレだろう、WCに関してときがわ町の充実度をこの度体感し満足した、という結論です。
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