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愛でろ、愛でろ。

新年を迎えた。

日本の2024年の幕開けは、能登の地震に、羽田滑走路での火災と、あまりに悲しい出来事が続き、テレビのお笑いを見ても、初売りで賑わうデパートを見ても、例年の"から元気"という様子は伝わってこず。

北陸に住む知人も、航空関係で働く友人もいるため、わたし自身も年始早々心が落ち着かない日々となったが、皆さまはいかがお過ごしだろう。
どうか身の安全と、心のケアを、誰しも怠らずに。


さて、そんな異例の正月となった今年だが、連日こうしたニュースが流れるとそれに伴ってネットの民たちも非常に活発な動きを見せる。
早速、被害に遭われた方々の代わりに心を痛める者たちと、それを"自粛厨"と揶揄して批判する者たちとの抗争が繰り広げられ、どこもかしこも争いだらけだ。

どこぞの首相が言ったような「皆さんの幸せを祈ります」という報告よりかは生産性のある戦いだと思うが、やはり争いごとには変わりない。

これには「ネットは変な人しかいないから。」という言葉で片付けてしまっても構わないが、そんな時にわたしはもっと「愛でる努力」をしようよ、と思う。

無論これは今回のような事件・事故の"非"当事者においての話だ。第三者として、どのような立ち居振る舞いが求められるのか、というひとつの考えに他ならない。

つまり、禍いの外にいる人間が、無力ながらにもできることといえば、いま目の前にいる人を愛でること、いま置かれている状況を愛でること、自分にはできない支援をしている人を愛でること、自分を愛でること、ではないだろうか。それ以上も、それ以下もない、と思ってしまう。

とはいえ、わたしも「愛でる」とは何か、「愛」とは何かの答えには、おそらく一生をかけても辿り着けないのだと思うが、だからこその「愛でる努力」なのである。

心の痛む出来事は、まったく自身も知らず知らずのうちにストレスとなって、日頃の言葉や態度に表出してくるものである。

大変な時ではあるが、どうか愛に溢れた1年でありたいと願うばかり。

みんなみんな、愛でろ、愛でろ。
それで救われることも、多分にたくさんあるはずだ。

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