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惑星系の中心 「ワンダー 君は太陽」を見て

中学生の頃、図書委員をしていたことがある。
これは日本的な言い方で、実際のところは、3年間のミドルスクールの最終学年である8年生の時、選択科目として図書委員を選んだ。
英語の本はまだ苦手でほとんど読まなかったけれど、それでも本に囲まれるのは心地よかった。
背表紙をなぞって、どの棚にどんな本があるのかが段々と分かっていくのが楽しかった。
選択科目のその時間、1日の最後の校時に返却された本を棚に戻したり、本の整理などがおわったら後はカウンターで自分の好きな本を読みながら時折貸出手続きをする。
まさに夢のような時間だった。12年間の学校生活の中で最も心地よい時間のひとつだったと言える。

“Wonder”
シンプルなタイトルのその本は、色もとてもシンプルで、しっかりしたハードカバーの本だった。何度も貸し出されていて端がヨレていて、表紙は小さな宇宙飛行士。
何度も気になったけれど、ついに読むことはなかった。結構な厚さだったから、怖気付いてしまったのだ。思い返すと私が中学生の頃に読了できた本は、どれもワンダーよりは薄い本だった。

“When given the choice between being right and being kind, choose kind.”
ワンダーという映画を配信サイトで見かけて、なんだか気が向かずに見ていない人も多いだろう。
私もその一人で、苦難があるけどハッピーエンド、というのが見え透いているようで今日まで再生ボタンを押さずにいた。

「人と違う容姿を持つ主人公」が軸になっている作品といえば「ノートルダムの鐘」や「シラノ」を思い浮かべる(どちらも大好きな作品なのでぜひお勧めしたい)が、これらと比べるとワンダーは予告の通り心温まるストーリーであるのは間違いない。
間違いないけれど、だからといって現実味の欠けたお涙頂戴ものというわけではない。未視聴の私はそんな印象を少なからず抱いていたので、「見たところで予想通りの展開なのだろうから仕方ない」と思う方に向けて私に撮って予想外だった(故に楽しめた)点を記しておきたい。

①オムニバス形式
少し語弊があるが、映画を通してずっと主人公の目線で物語が進むわけではない。主人公、Auggieの姉や友人などの視点が描かれる。
ものごとをどう見るのか、どういった見方をするのか。そしてあなたは、自分の見方を変えることができるかという問いを投げかける本作らしい視点転換が行われる。

②「きみは太陽」に込められた意味
原題には入っていないこのフレーズ。予告編を見た時はこれほどまでにないハートフルもの、といった印象のこの言葉だが、本編を見ると印象がひっくり返る。

いじめの描写はあるが校長先生が本当に良い人なので、嫌な登場人物の少ない、安心して見ることのできる映画なのは確かである。
その中でも刺さる名台詞が随所に散らばっているので、気が向けばぜひ見てほしい。


以下の感想は映画を観た後の所感。ネタバレも話が逸れることも気にしない方は見ていただければと思う。

Auggieという太陽を中心に回る地球が家であり自分たちはその惑星系だとするViaとMirandaの言葉。人一人には重力があって、それは即ち引力であるという見方はとても面白い。
ViaはJustinとの交流で笑顔が増えていくけれど、恋愛(に限った話ではないけど)や最愛とする関係性は、相手を自分の世界の中心に据えたり、そんな気持ちにさせてくれる関係性として解釈することもできる。
けれど太陽もその惑星も銀河系を周っていて、それは社会であったり他の大事な人であったりするのだろう。

かつてパートナーに、「月と太陽、どちらに例えるほうがよいか」という問いを投げかけられたことがある。
恋人に対して”you are my sunshine”などと言うことは珍しくないし、子どもに親が”hello sunshine!”と微笑むことだってある。
問いに対し私は、どちらも照らす存在ではあるものの、太陽は刺すような陽光もあり、日焼けや皮膚がんなど傷みを産むこともある、時間とその有限性や不可逆生について示す存在でもあること。
対して月は、太陽よりも地球により近い距離にあり、重力の関係性からも(太陽よりは)地球のよき随伴者のようなイメージが似合うこと、また月明かりは優しく落ち、老いを加速させるような心地もなく、陽光よりは主張が乏しいが一定であることから、月光のほうがよいかもしれないと答えた。実際にはその問いが投げかける前に彼が野外訓練の間も満月は明るく照らしてくれたと話しているのを聞いていたから彼の答えは月かもしれないと合わせた形ではあったのだけれど、私としてはやはりどちらも嬉しかったし、私にとっての彼の存在も、太陽と月のそれぞれに例えられるものの、そのどちらにも収まりきらない大きな存在だったからだ。

けれどやはり、パートナーシップにおいて、誰かを太陽として据えるのは危険だと思う。誰だって自分が中心になる時間は必要で、特別だと感じられる瞬間を必要としている。けれど、常にそれを行えばそれはその恒星を回る惑星が蔑ろにされることを意味する。
太陽と地球と月、どれも銀河系や、より広大な宇宙のひとつであることを時折思い出しながら、それぞれ変わりばんこを繰り返すような形が良いのかもしれない。一人一人が違う視点から世界を見ていて、その視線の数だけ宇宙があり、その惑星系の中心はそれぞれ異なるのだから。

家族や人間関係が発生するところで起きるダイナミズムを重力の視点で捉えてみる、という思考の取り掛かりをくれたワンダー。
見てよかった。

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