天才作詞家【松本隆】の魅力に迫る① 斉藤由貴 卒業編
お久しぶりです。半年ぶりに書きたいと思うことがあったのでnoteを書いています。とても拙い文だと思いますが暖かい目でお願いします。またこのnoteでは自分なりの解釈をしているため不愉快に思われる方がいるかもしれませんがご了承ください。
いきなりですが皆さんは卒業ソングと言われれば何を思い浮かべるでしょうか?尾崎豊の卒業でしょうか?レミオロメンの3月9日や海援隊の贈る言葉なんかも想像する方が多いでしょう。
皆さんそれぞれに思い出があるかと思いますが、今回は松本隆特集という事で、斉藤由貴の卒業に歌詞の観点から迫ろうと思います。
1985年にリリースされたこの名曲は37年経った今も多くの人を魅了しています。
何故でしょうか?
斉藤由貴が可愛いから?歌声が好きだから?メロディがキャッチーだから?
その全てが理由になっているでしょう。しかし私が考える最も大きな理由こそ、松本隆の時空を超えた歌詞テクニックにあると考えています。
あなたがもし卒業をテーマとした曲の制作に携わることとなり、作詞を任されたらどうしますか?
当時のことを懸命に思い出し、懐かしかったあの登下校やら教室やらの思い出を詩にする事かと思います。松本隆はどうでしょうか?
では本題に入ります。
卒業式といえばの後輩が先輩のボタンを貰うという儀式のシーンからスタートします。
この曲の主人公は女性であり、彼女は後輩から逃げた彼の心情を高みから理解しているようです。
この時点で少し主人公と彼の間に精神年齢的立ち位置の差があるように感じられます。
次ではもっと顕著です。
また主人公は男の子を見ていますが、こちらでも精神年齢に差があるように感じられます。
実際に18歳で思い出を刻むのは心だけにしてと思っている人がどれだけ居るのでしょうか?ほとんどの高校生が思い出をTiktokとInstagramに刻みまくっている事でしょう。
次に行きます。
はい、ここでも凄いですね。この子は一体何者なのでしょうか?何故高校生の女の子が今後彼とはやり取りが続かないことを知っているのでしょうか?
思い出を刻むのは心で充分なこと、離れてしまうとやり取りはどんどん減り疎遠になってしまうこと、それを私たちが知っているのは私たちが大人だからです。
松本隆はどのような卒業ソングを書くのか?その答えは、現実を知った大人の私たちが過去の高校生活を女の子を通じて追体験するというものでした。だから主人公により一層感情移入する事が可能となっています。感情移入する相手が私達と同じ大人に書いているからこそ、目線の先の男の子が相対的に子供に見えるし、その男の子こそ本当の過去の自分なのです。
つまり要約すると、女の子と男の子と思っていたものは、大人になった現在の自分と当時の過去の自分だったのです。
松本隆の凄さが分かりかけて来たでしょうか?
続きを見ていきます。
松本隆が得意とするお洒落な比喩表現が炸裂します。ここでも女の子(大人になった現在の自分)は彼が東京で変わって行くことを知っているようです。
なんて無駄のない洗練された4行なのでしょうか。
誰もが知るサビの部分ですね。
ああの部分は作詞の時点では存在せず、実際に斉藤由貴がレコーディングをする際にあった方が歌いやすいという事で付け足されたそうです。
高校生なのにこれからもっと哀しい事が起こることを知っているのは彼女が大人だからでしょう。
2番に入ります。
ここは懐かしいシーンの情景描写ですね。
誰もが想像に容易いワンシーンだと思います。
またしても松本隆の比喩表現が来ました。
反対のホームに立つ2人を引き裂いたのは、彼目線ではただの電車であり、彼女目線では時間です。
前半はよくある情景描写ですが、最後の一文で一気に現実に引き戻されます。彼女と彼、つまり今の我々と過去の我々には圧倒的な時間の壁があることを知らされます。“時の”という3文字を付け加えるだけでこんなにも切なくなる、個人的にこの曲で1番凄いと感じる節でした。
ラストの大サビです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。私はこの曲を単なる大人っぽい女の子と子供っぽい男の子の恋愛の曲というわけではなく、現在の大人の自分をそのまま登場させているからこそ懐かしいという感情に厚みを付けることに成功し、多くの人を虜にしている名曲だと考えています。
また、松本隆の作詞に関してはこの記事でも触れていますのでぜひ読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。
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