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昨日と今日の境界

 昨日と今日の境界はいつなんだろうか。ある日、ベランダから朝焼けを見ていてふと思った。

 時刻という観点から言えば、0時を過ぎれば日付は変わる。正月や世紀が変る時などは「0時」が境界という感覚にはなる。しかし、普段はどうだろう。夜更かしをして、0時になった時、1時になってしまった時はどうだろうか。まだまだ日が続いているような感覚である。24時であり、25時である。

 自分はいつ今日という感覚になるだろうか。朝起きて、朝日が出ていたら今日と思うだろう。まだ日が出ていなくて、暗かったらどうだろうか。昨日と今日との半分半分のように思えるかもしれない。

 昨日、今日という認識を持っているのは人間だけなのだろうか。他の動物はどうなのだろうか。前日と今日という区別はありそうだ。でも、1年前、2年前、10年前、20年前を振り返ったりはしないように思える。野生の動物なら尚更。今日一日を生き残ることに集中しているだろう。

 現在までのことを歴史として振り返ったり、勉強したりするのは人間だけのようだ。「時間」や「歳月」にしばられているようでもあり、他の生物にはない豊かなものを持っているようでもある。


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