【研究員コミュニティレポ①】定期的につまらなくなる自分をメンテする-キックオフミーティング
ついに始まった新しい働き方LABの研究員制度!つい先日、300人以上の仲間が集うキックオフミーティングが行われました。いやー、緊張した!
なんで緊張するかっていうと、まずZOOMのビデオがオンであるということ、そしてチャットで随時発言が可能だったからですよ。そう、寝てられないんです笑
「自分は研究員としてアクティブに参加する・コミュニティをつくるという立場にいるわけだから!」
と、自分の尻をひっぱたき、話を聴きつつ常時チャットでリアクションしつつ、更に反応を読みつつ、裏でTwitterに投稿しつつ、Twitterにいいねをする・・・とんでもないマルチアクション。すげーな現代。
ぜぇぜぇいいながらキックオフを終え、次の日半ば興奮した状態でぼーっとしていると、なんとなく気づきが生まれたので書いてみることにしました。
ほ、ほら、研究員は発信がタスクだからね!読んでね!笑
つまらない大人って何だろう?
そうなんですよ。最近、人と話す中で『どうしてこどもってあんなに面白いのに、つまらない大人になっちゃうんだろう』という話題がでました。
これを聞いた時に、「あーーーーーーーーー」と思いました。確かに、自分つまんないこと言ってるなーって時、いっぱいある。
例えばこどもが
「チョコーーーーーーー!」
と、叫びながら水たまりに向かって高速移動し、かがみ込みながら底の泥を指ですくい上げ、ニヤニヤしている時。
「そこ、車が行き来しているからめっちゃ汚れてるんじゃねぇか?」とか、
「おいおい、手ぇ洗わんと飯食って腹こわして風邪ひいてくれるなよ?」とか、
あまつさえ「水たまりっていうか、泥だまりな?時間ないんだからさっさと行くぞ?靴濡れたら後でつまんなくなるぞ?」
なんて言ってしまうわけですよ。何が「つまんなくなるぞ?」だと。「水差してつまんなくしてんのはお前だろ」と、飛び膝食らわせたくなってきますわ。振り返るとね。
僕にとって「つまらない」は、「今の楽しい」に納得できない理由で冷や水かけられることーって感覚かなと、その時思いました。
そんなことを振り返って自分にむかついている時、他の研究員さんのTwitterを見てたらこの動画にたどり着きました。
いや違う。それが言いたいんじゃない。
この対話を聴きながら考えていたら、何か整理がついてきた気がしました。
大人とこどもで何が違う?
こどもって、小さいほど「いま」しかなくて、びっくりするぐらい後先考えてないんですよね。
暑いからって言って裸になって、気持ちいい!って風を浴びながら横になって、寒い!って泣く。みたいな。「それぐらいわかれよ」って言いたくなること多数。
でも、だから馬鹿できるんだろうなーって思うんですよね。
110円で20枚ぐらいしか入っていない折り紙を一気に折りまくって「こんなにカメラ折れたー!友達にあげるから名前かこー!」って喜んで、
「折り紙なくなっちゃった・・・」ってしょぼくれる。次の瞬間には「折り紙買いに行きたい!」って言いに来てる。「いや、買ったの昨日じゃない!?」と言って、もめる。
彼らは、一瞬一瞬の「いま」を感じて、やりたいように行動して、そしてその気持ちを感じてる。
対して、自分はどうだろうか。
そもそも折り紙を買う前に「そんなに折り紙折る時間あるかな?」とか「折っても飾るほどいいもの折れないしな」とか「鶴の折り方忘れた」とか「折ってうまくいかないとがっかりするな」とか「だいたい折り紙折って、なこれから何かの役に立つ?」とか、頭の中の過去やら未来やらと照らし合わせて自分に水を差して、結局やらない。
自分の「いま」のちょっとやりたい気持ちに、過去の一部の切り出しや合っているかどうかわからない未来予測の脳内ロープレで制限をかけて、どこかつまらない気持ちを感じてる。
鶴の折り方忘れたなら、なんとなく思いついたように折ってみたらいいのにね。うまく折れなかったら、それはそれでがっかりした気持ちを味わったらいいのにね。
この「いま」に対して「すでにその結論は予測済みだ」という脳内ロープレからのセルフ行動制限が「つまらない」と感じるし、この脳内ロープレからの他の人への冷や水が「つまらない」と感じられる所なんだろうなと思うのです。
もう一つこどもと大人で違うのは、「まわり」への意識・境界だろうと思います。自分が楽しいことは人も楽しいと思っていたり、そこまで強く他人の気持ちやまわりにきづかなかったりしますよね。
だから、思うように発言したり、行動することができる。
自分が楽しいから、相手も楽しいだろうと思ってホースで水をぶっかけてきたり、一つしかない砂場のセットをひとり占めしたり。いや、水かけられるの嫌だし、俺も砂場セット使いたいし。
だからこどもはケンカが多い。けれど、さっきの「いまだけ」の感覚もあって、結構あっさり気持ちが切り替わります。
大人である僕は、僕以外の人がどう感じるか、またみんなはどう思っているかを感じることができます。それを自分の行動や判断の材料にすることが多い。でも「まわり」と自分の違いも強く感じていて、自分の行動を「まわり」に合わせながらも「なんか違う」と感じて、もやもやしてきてしまう。
だから、水をぶっかけられたことに対して腹を立てつつも、ひきつった笑顔を浮かべて我慢したり、砂場セットを使うことを我慢して、手で黙々と砂山を築きながら、嫌な気持ちを充満させている不機嫌なおっさんになってしまうわけですね。
挙げ句気持ちが切り替わらず、つまらなそうな表情で存在し続け、楽しそうなこどもを妬んだりもする。「水かけんの嫌だからホントやめて?」って声に出して、仲直りしたら笑顔でまた遊べばいいだけなのに。(太字設定するぐらい根に持ってる)
まわりやじかんを広く感じられるって、良い所が沢山あるけど、どんどん自分をつまらなくもしてしまうんだなーって思います。
こども状態になるために
この記事の前半部分を公開して読んでくださったayaさんが、
大人だって素敵なものがいっぱいあると思うんですよね。子どもとおとながミックスした人間になりたい。
とおっしゃってくださいました。本当にそうだと思います。どの年齢であっても、その時の持てる能力を「いま」に集中して発揮ができれば、それぞれが輝くことは間違いない。
じゃあ、こどもみたいな状態におとながなるにはどうしたらいんだろと考えると、必要なことは多分二つ。
一つは目は立ち止まること。
まず、休んだり、ぼーっとしたりして体を休め、ただ走ったり、ノートに何かを書いたり、自分自身の心が安らぎ、整い、ワクワクしてくるような行為をすることです。これが準備段階。
二つ目は頭をからっぽにして心に任せてやってみること。
心にバチっと思い浮かんだやりたいことを、ただやってみる。それだけです。
そうしていくと、今まで持っていたもの中で、実はいらなかったり、しまっておいていいものに気づいてきて、取捨選択が進み、心身がバチッと最適化されてきます。
じゃあ、これをできるようにするにはどうしたらいいのかっていうと、大人で寄り集まって、みんなでそれぞれやりたいことをやってみる
答えの一つはここにあるんだろうなと思います。つまり研究員制度。
新しい働き方FES2021でインターン生で入った時に、僕はコミュニティの力に初めて気づきました。『だれだって わたしだって やってみていい』をテーマにしたあのイベントの裏側では「やってみたらいいよ、嫌だったり無理だったらやめたらいいよ!」という安心感が醸成されていました。
「まわり」は気にせず「いま」やりたいことやったらいいよって、いまやりたいことやろうとしている大人だらけの中で言われたから、僕はこども状態になれた気がします。
新しい働き方LABの研究員制度はおそらくFESの強化版。だから、すごい勢いでみんな「やりたいことをやろう!」という空気が出来ていってます。(でも、コミュニティには危うさがある。だからこそ、その危機感を持っている運営の方々や参加者の方が意識的に関わってくださっているのだと思います。皆様に感謝。)
こうしたコミュニティの力を借りた個人の探究活動を通して「大人だけどこども状態」になって、面白い大人になる人が沢山出てくるんだろうと思います。それは、テーマが面白いかどうかや実験の成否には関係がなく、恐らくその人自身がそのテーマに取り組むことにワクワクしているかどうかにのみ関係があるのかもしれません。
定期的につまらなくなる自分に研究員制度
でも、多分僕はよく「つまらない大人」に戻ると思います。だって、生きて行くってやることいっぱいだし、「want to」は気がついたら「shoud/must」にあっさりすり変わってしまうから。気がついたらタスクが山積みになるから。
けど、別に定期的につまらなくなっているだけであれば、いいのかなと思うんです。自分自身を「あ、やべ、俺つまんなくなってる」って感じることが出来てたら、自分のサインに気づいてるってことだから。
そしたらまた立ち止まったらいい。そして、またコミュニティのみんなの力を借りて「もっぺんいまやりたいことやろ!」って踏み出したらいい。多分、この研究員制度ってそういう風にデザインされているし、そうみんなでしていこうとしているから。
定期的につまらなくなる自分をメンテできる場所に、新しい働き方LABの研究員制度はなる。それを感じられて、僕はキックオフミーティング後、非常に幸せでした♪
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