「折衝」 4月20日 日記

小さい頃は他人が特定の言葉を知らないことに対してなんの抵抗もなかった気がする。

中高生になると言葉と出会えるかはある程度運の要素が絡むことに気付いたので、他人が言葉を知らなくても特になんとも思わなくなった。


勿論、広い語彙のある人はカッコいいと思う。受動的であれば可能性かもしれないが、能動的になれば手に届くのが知識であり言葉だと勝手に考えている。

今日『可用性』という言葉に出会った。恥ずかしながら初見だと意味を推測する事しか出来ず、「ここまで常用漢字で構成されていて意味が分からない言葉が今出てくるとは…」みたいなキモい反応を心の中で2回くらいやった。

ちなみに可用性というのは使える、有用であるという意味からIT用語では継続稼働ができるかどうかという言葉らしい。うむ、次はこいつを乗りこなしてみせる。

このように知らない言葉に出会ったら素直に意味を調べて1つずつ自分のものにしていく作業を一生やっていくんだろうなと思った。後年になればなるほど知らない言葉はレア、よってテンションが上がるはずなので楽しみにしながらおじさんになろう。


昨日からあまりにも内容がないけどしょうがない。出涸らしみたいな日記を楽しむ心が現代人に求められている……

それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?